2009/2/15

Don't trust around 40(笑  日常

メロドラマとして映画にしてもいいくらい悪くない友人出演の芝居を見た後、サム・メンデス『レボリューショナリー・ロード』を見る。なんとも辛気臭い話で辟易。だがレオナルド・ディカプリオをちょっとだけ見直す。これ、フィフティーズの顔をしているが実はトリュフォーだ。だからレオくん、ジャン=ピエールなのだ。エンディングの苦渋の表情(ジャン=ピエールさんはそんな顔しないけど)など、実に。カミさんを撮るという心性(そのせいでケイトは熱演過多につき今回失格)は、本当はジャン=リュックなはずなのだけど。さらに原始的堕胎の出血がCGであるあたりはシャブロルを想起させる。つまり本作の実質は、いつもながらパリ=ヌーヴェルヴァーグへの憧憬を告白する、ないものねだりのアメリカ映画なのだった。アメリカにおいてはトリュフォーあるいはヌーヴェルヴァーグが「ないものねだり」としてつねに浮上し続ける。実は日本映画の現在に足りないのはこのようなトリュフォー的なるものだという気もしないでもない。子供でいいという開き直りではなく、大人になれなさと気づいたら大人にされていた、という人生のダブルバインドの苦渋。荒井晴彦ひとりがそこで苦闘しているのかも。ロバート・マリガン追悼として『アラバマ物語』を想起する向きもないではないのだろうが、それこそ「浅はか」というもの。
無性にワインが呑みたくなって西麻布へ行き、そのまま酔いつぶれ。深夜帰宅すると無性に『メインストリートのならず者』を聴きたくなって、聴く。そういう効果のある映画であったことは認めよう。四十歳以下にはたぶん、理解できないでしょうが。
ただし「時代劇」としては大失敗。レオくんはなぜかいまどきの「時代劇」にひっぱりだこだけど、失敗はレオくんのせいじゃないと思われます。キング・ヴィダー百回見て出直せ、って感じ。てゆうか、もう誰も「時代劇」なんか撮れないんだよ、アメリカでもフランスでも日本でも。そのエチカを扱えっこないんだ。
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