2009/5/21

キャメラ+身体+音  映画

打合せ→泥酔→加圧→トークイベント→泥酔→トークイベント→泥酔→加圧→打合せ→泥酔→徹夜→打合せ、という五日間を送れば、さすがにもう過労状態に陥る。しかしようやく連載が脱稿し、次のステップに入れるようになった。

というわけで『レイ』をDVDで参考に見た。語りの方法としてはあまり参考にならなかった。後半はアンチドラッグ教条話になっていき、ミュージシャンとして天才的に音楽が溢れ出て行く感じという高揚する場面がとうとう見られなかった。〈メス・アラウンド〉や〈ホワッドゥ・アイ・セイ〉や〈ヒット・ザ・ロード・ジャック〉が出来上がる部分はなかなかに感動的だが、なにか指先から、つまり身体から零れ落ちるようにして音が出てくる、という演出ではないのが残念だ。へんなところにあまり出来のよくないCGが使われているのも興を殺ぐ。母親役の女優、美しいのだが、死後の回想でなく組み込むことはできなかったのか。というのは自分たちに課した問題で、この映画の問題でもないのだけれど。やはりミュージシャンを描く映画って身体と音の関係の肯定を見たくなる気がする。その意味で決してアンソニー・マン作品としては必ずしもいいとはいえない『グレン・ミラー物語』がそれでも一歩勝っている気がするし、『アンナ・マグダレーナ・バッハ』や『トスカの接吻』のキャメラ+身体+音の融合というのはやはり凄まじいものがあった、と思い出された。そういうことを思い出させてくれた、という意味では参考になったな。
オリヴィエ・アサイヤス『NOISE』での、ソニック・ユースのメンバーたちの個々の演奏シーンに見られたのもやはりその身体性で、しかしこの場合はタイトルとも相俟って身体が音によって希薄化・曖昧化されていくという稀有な瞬間を見ることができる。『エリエリレマサバクタニ』でやろうとしたのもまさにこのことだった。
だが今度ははっきりと身体が音を発生させるところを描きたい。そのことに苦闘する身体の運動を描きたい。それってジミヘンの仕種だったり、あるいはスポーツ選手とも同じかもしれない。
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