2009/6/24

20世紀と地続きの浜辺にて  日常

一種の達成感とともに原稿を次々に駆逐し、残すところあとひとつ、ようやく読みかけの長篇小説に戻れる、とわくわく感に満たされながら近所の蕎麦屋に出かけてみると、いきなり常連が、ツーレロの片割れが国家宰相になるらしいな、とまんざらジョークでもないジョークを発しながら入ってきた。いやはや、こうなったらもはや柳下さんもレポートしているペルシャ情勢http://garth.cocolog-nifty.com/のほうがずっと洗練されてるな、と。国民もなめられたもんだ、と常連。でもいまの総理よりましでしょう、と若旦那。そうそう、今年は学習院の受験生が誰もいないらしいぜ、と再び常連。さすがにそれはあんまりだ。でも笑える。

それにしてもホワイト・ストライプスである。いい。こいつら、わかってる。土曜に行った多摩美がやけに面白かったので、その余韻でそう感じているだけかもしれないが。あれから毎日三時間ずつしか寝てないし。携帯も電源切れ、朦朧とした意識のまま、夜明けの雨を突いて家路を急いだ。

金のために生きてるんじゃないぜ。でもとりあえず、金だ。

とはいえ、出てることさえ知らなかった、昨年のユリイカ中上健次特集号の、蓮實文のあまりにも感動的な真摯さと、若手によるあまりにも杜撰な読みとのギャップには怒りよりもひどく驚かされた。小説の現在としての中上健次は、こんな特集号、しゃらくさい、と放り出しているぜ、きっと。「21世紀の日本に小説は可能」ではないね、間違いなく。いまあるのは、ただ「20世紀」と地続きの浜辺に過ぎない。
24



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ