2009/8/8

文壇VSRCサクセション…?  議論

大学時代に読み始めてすぐ、ちょろいがゆえに時間の無駄、と判断し放擲してしまった太宰なんていま腰を据え直して読んでみたらどうか悩んでいると「すばる」の奥泉&いとう漫談が、べつにいんじゃない? と軽く諌めてくれた気になったんで安心して自分に必要な資料を読み漁っていたのだが、ふとまた届いた「文學界」を手にすると磯崎×保坂対談ならびに松本圭二のエッセイに目を通さずにはおられず、ああ同世代のひとらがいるな、と胸を撫で下ろしつつくれぐれも無理をなさらないように、なんてお前に言われたくないと言い返されそうな余計な心配をし、かと思うと今度は「新潮」に安藤礼二の卓抜な論考が載っていて瞠目するのだが、そこでは主として論じるはずの作品を易々と視界の外へ追いやり、かつて行われた折口と中上の切り返しショットがおそるべき記憶力とともに粛々と語られるばかりというその点こそ瞠目の所以であり、さらにはそこで黒幕的に登場する御仁の連載で安藤が論じるはずだったそのタイトルを一切出さずに、その作品自体を袈裟がけにばっさり斬り、さらにはそれを論じる(であろうと思われる)論者に前もって無効を宣言する、という超アクロバティックな超絶技巧を前にして溜息が洩れ、ほとんどのひとがこの号のページ構成の意味を読み解くことはないだろう、とへんに確信したつもりになったのだが、それにしても折も折、病気が治ったのかクスリをやめたのか変えたのか、巻頭のひとの変貌ぶり(読まずに字面だけで言うのもどうかと思うけど)はどうしたことか。

ともあれ今年は象徴的と思えば象徴的だねえ。忌野逝去の年にあれが出るのは。
だって『羊』のラストは《ヒッピー》(76)のパクリだったでしょう?
♪次の駅で、ボクは降りてしまった、三十分、泣いた♪
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