2009/9/3

腕相撲、そして風に乗る綿  映画

二日連続で映画美学校へ行き、ホン・サンス『アバンチュールはパリで』を見る。この監督のことは前作『浜辺の女』からしか知らないが、実にアホらしく、かつのんびりしていていい。現代韓国映画ではいまのところ最も好みだ。このひとを紹介するのにしばしばロメールが引き合いに出されるが、あまりそんな気がしない。それを言うならトリュフォーに近いのではないか。あるいは、撮影があまりにいいかげん(褒め言葉)なのでそうは見えないものの、ブレッソン。なにしろこのひと、二の腕のひとだ。今回も妻が出てきたとき、なるほどこの二の腕だな、と笑った。そうして手が二の腕を掴み、手と手が結び合い、やがては腕相撲が始まる。さらにそれは南北腕相撲となって爆笑を誘う。いやあ、実にアホらしい。不意に小鳥が出てきたりなんかするのだが、かといっていささかも奇蹟など信じていない。奇蹟といっても侯孝賢のような奇蹟のことだ。その辺に、ジャームッシュ以降の同時代性を強く感じる。そういえば二日連続で太極拳の練習を見た。ブルース・リー世代の象徴だろうか。ただ、これは昨年の作品だからややずれがあるのかもしれないが、日付やナレーションはやはりすでに邪魔だろう。日付画面の代わりに夜景など差し挟んでおけば事足りるはずだ。
(ちなみに、ひとを国籍で判断したり感性のいささかお気の毒な方々のためにあえて申し添えておくと、私はホン・サンスを「韓国映画は嫌いだけどヨーロッパで評価されているから」という理由で顕揚しているのではない。信頼のおける友人、ドミニク・パイーニとジャン・マルク・ラランヌに、面白いからおまえ見ろ、と薦められ、たまたま都合が合ったので見て、かれらの意見に同意しつつ感銘を受けたからだ。まあそういうことであれこれ毒を吐くやつはそう言われてもなんのことやらわからんだろうが)

試写室を出て、原宿へ行き、機材撤収。

一昨夜、廣瀬純から送られた山中論(蓮實先生の論考を大胆に読み変えるところから出発する傑作論文)を読んで大いに刺激を受け、おれもそろそろなにか用意しなきゃ、と二十年間読まずに封印してきた山中監督作品のシナリオをついに読みはじめた。手始めに『抱寝の長脇差』と『口笛を吹く武士』。あっと驚く忠臣蔵物の『口笛を吹く武士』には、風来坊の主人公がどちらへ行こうと、手にした綿をふっと吹いて「風」に乗せる描写がある。え、これ、ひょっとして『用心棒』のあれか、黒澤、そのつもりだったのか、と思わされると、そこから読み進めれば進めるほどどう考えてもこの話が『赤い収穫』に思われてくるので、調べてみると『赤い収穫』発表が1929年、『口笛を吹く武士』が32年。おそるべき同時代性だ。あるいはこんな小説がアメリカで出版されて、と話題だけパッと掴んで使ったのかもしれない。しかし、綿を風に乗せるなんて描写はハメットにはないだろう(もしあっても翻訳されてないのだからそこまでは引っ張れないだろう)から明らかに山中の創作と思われるし、クライマックスなんてほとんど『ペイルライダー』だ。当時どういう評価だったか気になるので、今日はそこらへんを洗ってみよう。

山中へ行ってしまったので、小谷野敦著『里見トン伝「馬鹿正直の人生」』は中断。しかしやたら面白いので、山中が終わったら再開するつもり。
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