2009/9/18

あの子は聞えなくても呼ばれていることがわかるんだ。  演劇

そんなわけでトム・ストッパード作・蜷川幸雄演出『ユートピアの岸へ』を三日に分けて鑑賞。
ふと気づいたのはこの戯曲、新作である。しかし新作でこれほど古典の風格とポストモダン風のけれんを併せ持つ見事な傑作が成立しえるのか、という恐るべき質の高さ。新作にほとんど興味を持てない私にも、この目論見の巨大さは大いに魅力的だった。

第一部『船出』を見るとこれがもろにヴィスコンティとベルトルッチ『1900年』の間を意識して貴族またはブルジョワの黄昏、そして革命の予感を端緒にして書き起こされていることが分る。それにしてもここでメインのひとり、不遇の批評家ベリンスキーを演じる池内博之の驚嘆すべき頑張りはどうだろう。あらゆる器官から体液を大洪水させながら獅子奮迅の活躍を見せている。阿部寛=ゲルツェン、勝村政信=バクーニン、別所哲也=ツルゲーネフら主演陣にいささかのひけもとらない。バクーニンとの丁々発止にこの劇の誕生が託されている。またバクーニン家四姉妹のコラボレーション、ときおりインサートされる麻実れいの余裕を漂わせる軽妙洒脱の妙味、そしてエンディングにおける瑳川哲朗の堂々たる夕陽の終焉。この第一部だけでこれが演劇史的な大きな一ページをこの年に刻むことになるであろうことが分る。

で、第二部『難破』ともなれば各演技者の技の繰り出しに興味は集中する。いよいよ本領発揮となる阿部寛のダイナミズムにただただ脱帽。第一部からの変身を見せる勝村政信と池内博之にも。そしてラスト、石丸幹二=オガリョーフの精妙なる発声がもたらす一陣の風のような抒情。また、これら男優陣に同等に相対する女優陣の熱量にも圧倒された。その意味で第二部では、これが「政治」の劇であると同時に「性事」の劇であることを理解する。たった1シーンしかないが、この戯曲全篇のちょうど真ん中に位置する場面での麻実れいの演技は尋常ではない。そこで語られる性の革命とでも指し示すべき制度からの切断こそ、本作の中心命題だと確信しえるだろう。結局ゲルツェンもオガリョーフもバクーニンも、欲望に盲目的な女たちに振り回される己の旧弊さに、言葉を持たぬ子供としての革命(それは終幕になってようやく、オガリョーフによって見出されるにすぎない)を見失い続けるのであり、その切断の苦痛を主要人物各人が徹底的に味わうのだ。蜷川演出もその点に向かって集中している。そうしてセックス・ウォーが一旦過ぎ去ったあとの荒波に素肌を晒すような孤独がゲルツェンを囲繞する。このような劇がいまもって新作として可能であることに再度感銘を受けた。

そして第三部『漂着』。さらに性も政治も混迷を深め、各人が崩壊の危機に晒されながらそれでも旧友たち(阿部ゲルツェン、石丸オガリョーフ)がそれでより強靭になりさらに結束し立ち直っていく様がひたすら麗しい。第二部からの谺としての手袋のモチーフがひどく痛ましいが、革命はかろうじて片方だけのこの手袋としてゲルツェンの手に残ったというわけだ。この巨大な劇には、一方で余裕としてのスラップスティックな笑いもふんだんに盛り込まれていて、第三部では勝村バクーニン(かれだけは第一部での切断の痛苦から隔たって解放されている)のデブ着ぐるみ芝居に大いに笑わされた。また、ワイト島で別所ツルゲーネフが出会う若者が池内二役だからベリンスキーの亡霊に見えてしかたない。あそこでいっそ「あなたを見ていると懐かしい旧友を思い出す。恩人でもある。あなたとかれはよく似ている。だがかれはニヒリストじゃなかった。その正反対だった。いつだって熱狂し苦悩していた」「そのひとはいまどこに?」「安らかに眠っている」とまで語ってもらえたら気持ちよく泣けただろうが、それはこちらの勝手なおねだりだ。二役で言えば第一部でスタンケービッチを演じた長谷川博巳が第三部でチェルヌイシェフスキーになるのだが、声音を変える芸達者ぶりに驚かされた。
そして大団円。生きている仲間と家族が老いたゲルツェンの周りに集まってくる。そしてあらし(最後の発見と描写、もうすこしゆっくりとなにげなく、でもよかったのではないか)も訪れる。だがそれにしてもユートピアはやはり存在しないユートピアに過ぎなかったのか。ゲルツェンの台詞「歴史はつねに千の門を叩いている、その門番の名は偶然だ」に惹きつけられた。その決着は、革命とその崩壊を経験した百数十年後の現在までついていない。ただゲルツェンの主張する暴力革命の否定だけは門番もその正当性を認めるだろう。折しも昨日、オバマは東欧でのミサイル計画の変更を発表した。

今回は三日間通って一部ずつ観たが、もう一度終わり近くに通し公演を観る予定。それはまた違った熱気を帯びているだろう。必ずしも問題がないわけではないいくつかの点(たとえば第三部の音楽。選曲の良し悪しではなく、段取りとしてそれでいいのかどうか気になった)がどうなるかにも興味が残った。
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