2009/10/18

ありえたかもしれないKK  映画

TIFFの審査委員長はスコリモフスキと聞いて、おやおやそりゃまたずいぶんハイカラになったこと、と感心していたらまったくのガセで、イニャリトゥなんていう何の陰謀で監督名乗っているのか怪しくて仕方ないやつだったと知り、あーあやっぱダメだな、としたくもないがっかりをしてしまったその日の、加藤和彦自死の報にも、なんとも釈然としない思いだけが残り、三日ぶりに酒を呑む。といっても蕎麦屋で常連氏やご主人との語らい、という実にホームタウンなムードの。

一昨日はDVD三昧。初見の『ア・ウォーク・オン・ザ・ムーン』と何度目かの『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』というヴィゴ二本立て、そして『マイ・ボディガード』。『ア・ウォーク・オン・ザ・ムーン』は原題で、DVDは『オーバー・ザ・ムーン』になっているのだが意味が分らないので原題のまま書くが、だってこれ、ちょっと月面を歩きましたけどやっぱり地上に留まりますよ、って話でしょう? 出来は必ずしも悪くないのだけど、周囲の白眼視がないのが気になった。ヒッピーにあれだけ目くじら立てる連中が不倫妻に寛容なんて、なんかドラマとして片手落ちな気がする。サーク的な残酷さが欠けている。
クロネンバーグはやはりこれが最高傑作だと再認識。最初から最後まで構成・編集に隙がない。早朝、手前にポストが見えていてヴィゴがひとり店に歩いていくショット、素晴らしい。ひとつ、なぜジョーイの記録が警察にさえまったくないのか、気になるけれどそこはまあ。
トニスコも何度目かわからないが、死に場所を求めた兵士の末路としてはデンゼル・ワシントンにちょいと役不足は否めなかった、というのが今回の発見。やはりそれには晩年のバート・ランカスターやジョージ・C・スコットの貫禄が必要、なんて。でもまああそこまでやってくれたものにそれはないものねだりけど。
『ウォーク・オン・ザ・ムーン』のダイアン・レインがヴィゴのバスに拾われるときと『マイ・ボディガード』のデンゼルがウォーケンに庭で電話するときの雨は、悪くなかった。

で、昨日は『ボヴァリー夫人』を見てきた。デジタルの、実に爽快な使用法。カーセックスならぬ馬車ファックはノーカットで見たかったが、ないものねだりはよそう。製鉄所の謎の発炎筒と機械の動き出しに心底痺れた。あとラストの三重の棺のでかさ。近年のアンゲロプロスの「でかいもの趣味」より堂に入っていて、呆然とした。さすが本場である。ところで、こうして見ると、ソクーロフって「ありえたかもしれない黒沢清」じゃないか、と連想してしまうのは私だけか? なんか『ココロ、オドル』にそっくりではないか、これ。黒沢さんに全部アフレコで、と依頼したらきっとこんな感じになると思う。てゆうか棺含めて、ムルナウ系だよなあ、というのも黒沢さんっぽい。
ムルナウといえば、東北の方で著作権の話が紛糾していたようだけど、リミックスに著作権もくそもあるまい。使ってくれてうれしい、的な発言はメディア批判王であり、かつ「映画監督に著作権はない」の著者ラングもしている。かれら十九世紀人のほうが複製芸術のなんたるかをよおくわかっていたのではないか。

で、呑んだ後、いろいろ思い悩んだ末に再びシェイクスピアシリーズ。今夜は『ペリクリーズ』だったのだが、いやはや、あえて己の無知を晒すけれど、シェイクスピアって晩年のロマンス劇が最も秀逸だったんですね。参った。というか自分の最も弱いところをつつかれて大いに号泣してしまった。戦場の水飲み場(2003年の上演)を設えたセットを含めた蜷川の演出も冴えに冴えている。一人で何役もこなす俳優諸氏の底力にも脱帽。これは『マクベス』を超えている。ここには化け物はいないが、演出次第で民主主義でも凄くなる、という『ユートピアの岸へ』に繋がる意思の萌芽を見ることができた。なかで、どんどん輝きを増していく田中裕子が素晴らしい。
11



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ