2009/11/12

欲望という名の温泉  映画

晩飯後、原稿チェックのあと、なにを血迷ったか、エリア・カザン『欲望という名の電車』などはじめて観始めて、冒頭の、路面電車をあんなにつまらなく撮るか、というところから三十分我慢したが、あまりのことに途中で止めてしまった。えええっ! これが名作なんすか!? と思わず呟いた。いや、私にはまったくわからなかった。初見の映画を途中でやめたのは久しぶりだ。三十分間で、ブランドの二の腕の異常な太さだけが印象に残った。

で、とりあえず中和しようとその正反対のほうへ行くべく、何度目かの『秋津温泉』。特集に出かけられない腹いせもある。どこかで誰かが書いていらした(どなただったかは忘れた)ように記憶しているが、周作が「新子さん」と呼ぶところと「お新さん」と呼ぶところの微妙な変化、感動的だ。なにかあまりめったなことでこの映画を好きだと言いたくないし、ひとが言うのも聞きたくないのだが、しかしやはり好きなのだ、あの赤いマフラーが。橋を見下ろすロング・ショットが。寝そべって煙草を吸う河原が。これをリメイクするなんてまったく考えないが、初めて見たときから私は『秋津温泉』のような映画をつくってみたい、と激しく欲望してきた。後半、駅で握手して別れたあと、汽笛が鳴りはたと顔を上げ、結局見送ることになる辺りから以後の、身を切るような切なさがたまらない。私なら、と考える。私なら十七年ののちに新子と死ぬだろうか。それは私にとって人生の問題ともいうべき、永遠の問いだ。
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