2009/11/27

中国ににっかつが密輸された……?  日常

雨そぼ降るなか、羽田の近くまでジジの火葬へ。十坪ほどの火葬場は埋立地の工場群の一角に申し訳なさそうにあり、しかし反対のたて看板など立てられていて気の毒なほど肩身の狭そうな佇まい。
火葬には一時間ほどかかった。焼却炉へ入れるときになって、この数日間涙を己に禁じてきた妻がとうとう声をあげて泣いた。骨壷に骨を移し、抱いて帰った。
帰り道の空は青く晴れていた。

日常に戻って、加圧ジムへ行き、戻っていくつか打合せをした。
宣伝しろと言われているのですると、角川書店より青山真治君の文庫『Helpless』と単行本『地球の上でビザもなく』が今月中に発売になる。両方とも小説で、前者は言うまでもないが、後者は五年ほど前に書きかけてそのままにしていたものに加筆訂正した、書き手曰く、はじめて手を染めた「普通の、泣ける小説」らしい。こんなひとがいたらいいな、と書き手が想像した壮年映画監督の行状を、中堅批評家のいささか屈託ある語りによって審らかにする、という内容。

さらに一月には講談社より単行本『帰り道が消えた』(小説集)が、二月には朝日新聞出版より単行本『シネマ21 青山真治映画論+α集成2001−2010』が発売になるそうだ。かれもなかなか忙しいらしい。

夜はマイク・ニコルズ『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』をDVDで。これはこれで悪くない。オールビーの、あのうっとうしさ全開の台詞が満載の戯曲よりいくらかすっきりしているので、もし上演するならこちらをもとにしたほうがいいのではないか、とさえ思われた。

それが水曜のことで、木曜は朝日ホールでロウ・イエ監督作『春風沈酔の夜』を。題名のみ・事前情報なしの状態で見て、てっきり呑んだくれの映画だと期待して出かけたら、あれまあ……。まあ、同様にだらしない者どもの話とも言えはするが。しかし『天安門』に比べるとずいぶん見ることに親しさを感じる。伝えることではなく、描くことに力点が置かれていると思われる節があるからだろうか。デジタルヴィデオをハンディで回すことへの警戒心のなさをよしとするかどうかはべつにして、あるいは携帯電話とクラブという風俗的な意匠への戦略の乏しさをよしとするかどうかもべつにして、これまた悪い印象は受けなかった。ただし、これはお国柄なのかもしれないが、前半でどうしてもひとの顔の区別がつけづらかった。顔の判別にはけっこうな自信のある私でさえ混同してしまったのだから、かなりわかりづらいと思う。とはいえ、意識的にかどうかはわからないが、その「区別がつかない」という状況を介して、ある種の複数性をかろうじて実現しているように見えるのもこの作品の美徳かもしれず、そこにこそ本作の真の主題が隠れているようにも思えるのだが、一方で、だとしたら、やはり伝えるべきことを伝えられてしまった、ということなのか。
いずれにせよ、総じてとうとう「にっかつ」が中国に密輸されたな、というにんまり顔を浮かべずにいられない作品である。
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