2009/12/1

世にアル中の種はつきまじ  演劇

日曜、PARCO劇場にて『海をゆく者』。作/コリン・マクファーソン。演出/栗山民也。
『ブラック・バード』につづいて1セットものの海外新作の栗山演出だが、こちらは五人もの芸達者が揃い、見事におっさんたちの体臭を感じさせてくれて、その生々しさがよいほうに転んでいた。一番年下の吉田鋼太郎氏が最年長(小日向氏は年齢不詳だが)を演じるという変化球的キャスティングも効を奏していたが、なかで出色だったのがアイヴァンを演じた浅野和之氏である。これしかない、という芝居に徹して微動だにしなかった、というと皆さん、そうなのだが、特にアイヴァンは台詞の細かなニュアンスだけで壊れかねないかなりの難役と思われ、しかしそれが完璧だと思われたので非常に感銘を受けた。これまで氏のことをなにもしらなかった自分の無知を恥じる。学生時代、食わず嫌いで避けていた夢の遊民社など小劇場系と呼ばれたムーブメントのなかにも、瞠目すべき存在があったことを肝に銘じておかねばならない。音響、セット、ライティング、どれも素晴らしかった。私の中の幻影としての(ウイスキー臭にまみれた)アイルランドとぴったりマッチしていた。
作者は71年生まれというのにこんなおっさんらの生態をよくもうまく捉まえたものだ、と感心したが、ダブリンという設定のせいか、『ユリシーズ』の冒頭を換骨奪胎・引き延ばししたもの、という読みもできた。


夜、テレビでボクシングを見た。両陣営ともに番組宣伝などで「家族」やら「一家」やら担ぎ出して盛り上げようとしている。それはとってつけたようなものではあるが、そこに「戦う根拠」を押しつけている様は非常に見苦しい。試合のほうは、元々亀田が勝って当たり前だと思っていたが、あんな消極的な戦法ではただつまらなかっただけだ。それとレフェリーがでかすぎる。フライ級の試合にどうしてあんなでかい外人が必要なのか。考えるべきだ。

月曜、家事、銀行作業、ゲラ直しを終えて、深夜カサヴェテスBOXのメイキングを全部見た。結果、日本におけるカサヴェテス解釈はほとんど間違っている、と感じたがそのことは、先日行ったロウ・イエ監督との対談とも併せて次号の映画芸術でしっかり書かせていただくので、ここには書かずにおく。

河出書房新社様より宮沢章夫氏の『時間のかかる読書』いただく。こういうバカな連載をやりたいものだ、と「一冊の本」の間からあこがれていたが、しかしそうか十一年か。宮沢さん、ホントにおかしなひとだ。
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