2007/7/21

墓はどこにあってもよい  議論

沖縄が日本であるとかないとか、わかるとかわからないとか、そういうことはまず措くとして、言えることは環太平洋的……ちがうな、汎太平洋的だ……なるものというのは確実にあり、それは熱帯の貌をしているので日本本土にはごく一部でしか見られない。とはいえたとえば石垣島の空気は紀州や高知とよく似ている。そうしてそれはハワイにまで通じている。だが、これは沖縄全体に言えることかどうかもう少し研究しなければはっきりしたことは言えないがことここに関しては、墓地はどこにでもある、という現実を目の当たりにしたのだった。いくらか当惑するほどそれはそうで、それと同等にたとえば竹富島なら御嶽(おん)が島のどこにでもある。生と死のあわいがこれほどあいまいな場所(例外的な場所、たとえば東京東部などがあるにしても)も知らない。大量虐殺の世紀を経て、いまなお身近に死を感じつづけながら、だがその守護・弔いをとりあえずの義務として棚上げしつつ郊外のジャスコ的計画空間に押しこむのではなく、我々と隣りあわせのストリート(というよりほとんどアレイ=路地だ)に点在させるという可能性はいささかも前近代的ではなく、むしろかつてあった歴史を再建=再見させる上でも近未来的必然に感じられた。
たとえば巨大なモニュメントを建てたりするのも実は墓を忌み嫌う後ろめたさの裏返しで、それはすでに時代遅れなのではないか。

そういえばむかし「墓地と基地」てゆう漫才コンビ、おったなぁ。。。
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