
宇都宮のタウン誌「fooga神無月号」
表紙には
『明石良三が恋した、幻の硯』の
一文が添えられている。
先頃終わった「おおば木匠」個展最終日に
明石氏本人が持ってきてくれたものだ。
明石氏、いや明石さんは以前このブログ内で、笠間在住の陶芸家A氏として、その仕事を『
ひとりプロジェクトX』と書いた人物。
「fooga」では巻頭16ページにわたり特集が組まれ、写真も文章も実に良い出来で(明石さん本人も顔をほころばせるほど)まさに名刺代わりの一冊となっている。
また、他の内容も充実しており、とても一介のタウン誌とは思えない。しかも毎月発刊だというのだから驚くばかりで、我が茨城で見かけるチラシを寄せ集めただけのタウン誌
(いや、タウン紙だな、ありゃ)が恥ずかしくなってくる。
それはさておき、明石さんの作品は本人が『尋花澄泥硯』と名付けた陶の硯である。
それも、清の時代に途絶えて久しい幻の製法を復活させたもので、十年に及んだ道程には運命や宿命としか云い様の無い不思議なイトが絡んでいる。
ーー偶然ではない。そこにあったのは明らかな必然ーーその結果が、現代に蘇った『澄泥硯』なのだ。
『硯』
義務教育過程での硯体験しか持たない私には最初、明石さんの硯を見たとき、正直、何の飾りっけも凹凸も無い「塊」にとまどった。
「えっ、これって硯なの?」としか思えなかった。
焼き物であるという事実にも当惑させられた。(文字通り石で作られるものと思い込んでいたのでネ)
だが、ひと度手に取れば、重みは心地良く、すべらかな触感はなんとも心を落ち着かせてくれた。
滴らせた水の輝きは艶やかで、これで墨をすったらさぞ気持ちが良いだろうと容易に想像できる。
「fooga」の中で、ある自閉症の男の子とのエピソードが紹介されているが「なるほど、さもありなん」と納得させられ「時空を超えた存在」が放つパワーに人は魅了されるのだろうか。などと陳腐な言い回しが頭をよぎる。
書を嗜むことなど更々無縁ではあるが、明石さんの硯とはいつかきちんと対峙してみたいと思う。
ところで、「澄泥硯」の復活は、明石さんの恋する一念に加え、様々なイトと何よりも明石夫人の類い稀なる愛とがあって初めてなし得た現象なのだが、ちょっと見方を変えれば『澄泥硯』が明石さんを選んだとしか思えない、なんとも不思議な巡り合わせの賜物でもあるのだ。
だからこその運命であり宿命と云えよう。

作家冥利な明石さんHPは
コチラ。
fooga問い合わせは
コチラ。
それにしても、作家「明石良三」と
人間「明石さん」が同一人物だというのだから、
コレまた不可思議なもんですな(笑)

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