



きょう、午後から函南で会合がありました。せっかくなので紅葉が始まった天城の杜を散策しながら行くことにしました。まず向かったのが河津七滝。ここは定番の秋の行楽のおすすめスポット。Yahooの紅葉情報では緑のもみぢマークだったが、やはりまだあまり紅葉していませんでした。何年かぶりに歩いたのだが、石投げ大明神?のようなものがありました。
途中の天城トンネル周辺ではけっこう色づいていました。どこかの中学生がハイキングをしていました。続いて何年かぶりで、日本の滝100選の一つ浄蓮の滝に寄ってみることにした。こちらは四季を通じて多くの観光客・ハイカーで賑わいます。私が行ったのがちょうど8時から9時ごろで、土産店の人たちは品だしの準備で忙しそうでした。

注連縄に放る玉石秋の水

落葉掃く夫婦の店の黄粉飴
そこから一路、反射炉まで向かいました。いつも通る国道136号を看板表示の方へ右折するとすぐ到着しました。反射炉は、江戸時代の代官江川坦庵の大きな業績のひとつで、旧韮山町のシンボルとして今日まで親しまれています。何をするものかというと、鉄鉱石から取り出した銑鉄を溶解して不純物を取り除くためのものです。そして、優良な鉄を生産します。ここで作られた鉄でお台場に備えられたカノン砲(大砲)が出来たといいます。(入場料100円)

煤掃きて昔の色の煉瓦かな

室咲きの苺をじっと待ちわびて
続いて蛭ヶ小島を散策に行きました。反射炉から車で1分ほど、最近ではこの周辺をウォーキングする人も多いようです。そもそもここは狩野川の中下流に広がる田園地帯で、伊豆にしては平地が多いところです。かつてはこの地を抑えるため多くの豪族たちが闊歩しました。
せっかくなので小島内?にあった茶屋でそばを食べました。500円です。店のおじさんに「きょうは頼朝さんはいらっしゃいますか」と訊くと、「あそこにいますよ」と言うので、見ると政子と二人で並んで富士山の方向を見ていました。先日レンタルで『草燃える』を借りて観たところなので非常に感慨深いものがありました。ちなみにここにも投句箱がありました。

冬温し狩衣染める蛭ヶ島
次に江川邸に向かいました。江川氏は古くは源氏の出といわれ、先祖は頼朝につき従った御家人といわれます。その後、戦国の世を経て徳川家の旗本となり、重鎮として戦後まで伊豆の代官を務めます。代官は、幕府の役人として天領を治めるために派遣されますが、普通は2〜3年で異動がありました。しかし江川家は世襲代官として伊豆を治めました。ちなみに伊豆のほかにも相模・武蔵・甲州なども収めたそうです。また、江川事件の首謀者“江川卓”との関係は認められませんでした。

篤姫もくぐりし門の菊展示
うんちくですが、反射炉を建造した江川坦庵の名はあざなで、本名は英龍といいます。それにしてもこの方は形容のし難いほど(人によっては東洋のレオナルド・ダビンチとも)数々の業績を残しています。資料館で坦庵のかいた書画を見ましたが普通ではないです。これだけでも一流なのに、反射炉の造営や砲術指南、江川塾、そもそも代官ですから伊豆を治めること、さらに諸外国との折衝など。凡人4、5人が束になってもできないことを成し遂げました。私もこうありたいと思います。(拝観料400円含資料館)
という訳で、短い半日旅行はここに幕を閉じました。「江川」というと“江川卓”をよぎってましたが、坦庵は比べものにならないほど偉大です。ちょうど国文祭でイベントをやっていました。昨年、大河ドラマの収録にも江川邸が使われたそうです。


1