自分が病気だと感じれば、たとえ専門家にどこが悪いか発見されなくとも、どこかが病んでいるのに違いない。ある人が、苦しいと助けを求めているとき、端からはそんなふうに見えない場合でも、その人が苦痛を感じていることに違いはない。
見えるものだけが病気の原因ではないし、どういうことに苦痛を感じるか、何を幸せと感じるかは、その人によって大きく違う。
だのに、公人だと言うだけで、雅子さんは、自分が苦しいかどうかの判断を、他人にゆだねなければならない。
自分は苦しいに決まっている。一番苦しいのは、“ここが悪いんです“と、レントゲン写真にでも写して証拠を明かすことができないこと。そのために、周囲の理解を得られるのが難しいこと。それができれば、どんなにか楽になるだろう。
今、彼女は、旦那さん以外に味方がいないと感じてるんじゃないかしら。旦那さんが理解してくれるのは、大きな救いだけれど、何事もつらいと感じる精神状態では、敏感に人の言動が気になって、きっと “ああ、やっぱり分かってもらえない”と感じ、底なし沼に沈んで行くような気持ちではないかと思う。
エラそうなこと言っても、私も図らずも人を傷つけていることがあるはず。(ご免ね)
人の気持ちを推し量るのって難しい。結局、自分の経験や度量の大きさ(小ささか)によってしかできないのだけど、人の心を完全に理解することはできないと知ること、人それぞれに事情ってモンがあるということは、心せねばと思う。
つらいときは、裏の裏まで読みとろうとする気持ちが働くけど、そんなことしなくって大丈夫だよ、と大きく包んでくれるような優しさだけが、今の彼女に必要なんじゃないかなあ。
と友達のように書いてるけど、なんだか親近感感じるんですよねえ。

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