今日は病院のボラの日でした。
お盆で夏休みなので、患者さんは比較的少なく、それと反対にお見舞いのかたは多くて、賑わい(と言っていいのか?)としてはいつもよりにぎわっていたような、元気な人のほうが多い、ちょっと不思議な日でした。
そんな、お見舞いの方がひっきりなしに出入りする中で、足が痛んで車いす移動のご老人の車を押したんですが、そのご老人とすっかり話込んでしまいました。
というのも、ご老人の痛んだ足の原因は戦争。
外地に赴かれ、戦地で撃ち合いになって、相手は倒れ(と言われて、どきっ!でも、ご老人は淡々と話されます、それだけ非日常的なご苦労をなさったということですよね)、ご自分の足には弾が貫通したのだそうですが、それからずっと何ともなかった足が、今頃になって痛み出したのだそうです。
私の父母の時代には、戦争は経験しても、年が行かないので戦地に行ってと言うことではなかったので、戦地のしかも、前線で戦うというお話を、目の前で伺うのは、重たいものでした。
その痛んだ足は、設備のない外地で、”入り口と出口”(一瞬、何のことか分かりませんでしたが、これもまた、淡々とそう言う風に話されるんです)をヨードチンキで消毒しただけだったそうです。
「痛み止めを打ってもらうといいんだけど、しばらくするとまた痛む」と言われていました(それも全然痛いという表情もされずに)。
戦争に行かれたのも、そこで銃撃戦に参加したのも、なにもかもがご自分の意志ではなかったはずなのに、そこで受けた痛みを、80歳も越えた今頃になってまで背負わなければならないなんて、どこまで戦争って理不尽なんでしょう。
そういう現地で苦しまれた方々にとって、戦争は、靖国に参拝する、しないとかいう、選挙の結果如何でころころと態度が変わるような机上の政治的な問題ではなくて、もっと現実の、今でさえも尾を引いている重たいものなんだと思いました。

0