G-Sessionと私(完全版)  バンド関連

以前このブログで、「G-Sessionと私」について書いていたのですが、前編書いたきりで終わってしまった…一応後半も書きかけではあったのですが、ライブに間に合わなかったw
ということで、改めて「「G-Sessionと私」について書こうと思います。
これは改訂版ということで。

1998年2月に、腹巻猫さんという方が、劇伴評論、紹介サイト「劇伴倶楽部」を開設しました。
テレビで放映されたアニメ、特撮、ドラマ、時代劇などの音楽(主題歌だけでなく、劇中BGM(劇伴)も含む)を幅広く取り上げ、劇伴ファン同士の対談やデータなどもまとめています。
当時のサイトのアーカイブはこちら。
http://www3.airnet.ne.jp/haramaki/gekiban/index.html

その「劇伴倶楽部」掲示板で、
「自分たちで一度好きな劇伴をセッションしてみないか?」
という呼びかけがあり、楽器が出来るメンバー何人かが集まって、一度セッション。その後、コンスタントに活動していきたい、ボーカルや女性コーラスも入れたい、ということで、セッションでギターを弾いていた旦那(当時はまだ結婚してませんが)から、私に声がかかりました。確か2000年の初め頃だったような。

当時はまだアニメも特撮も全然見てなかったし、女性が私一人だけだと不安だったので、SF好きでアニメや特撮に詳しい友人の尾山ノルマさんを誘いました。

最初に練習したのは2000年の6月くらいだったと思います。当時練習していたスタジオは渋谷駅東口から程近かったのですが、かなりボロかった…。
2階がライブハウスで、スタジオがビルの3〜5階にあったのですが、階段しかなくて楽器の持ち運びが大変だったのを覚えています。後に改装して綺麗になりましたが、やはりエレベーターはなかった(泣)

練習を重ね、最初のライブを行ったのが2002年の9月。江古田のパイナップル・カウンティ(※)というライブハウスでやりました。

ライブ前に伊豆のスタジオを借りて、二泊三日で合宿もやりました。
練習もやりましたが、みんなで「何も見ないで○○を描こう」大会をしたり、不破さんと腹巻猫さんでカレー対決をしたりと、遊びのほうも充実していた記憶があります。
※ 江古田にあったパイナップル・カウンティはその後閉店、南青山に移転して「Mike's Paradise」と名前を変えて開店しましたが、残念ながら現在は閉店しているようです。
最初のライブについてはもう記憶が定かではないのですが、サックスが格好良かった!のは覚えてます。
CATが参加したのは「UFO少年団」と「眠れマッハバロン」の2曲…もうちょっとあったかな?
当時のセットリストはこちら。
http://www.soundtrackpub.com/event/2002/09/soundtrack_pubmission6_live.html

メンバーについて少し話しますと、もともと「劇伴倶楽部」に出入りしていたRYO-3さんこと不破了三さん(Ba)、西川GOWESTさん(Key)、中澤“元花牧スタヂオ主人”邦明さん(Gt)…が、最初にセッションしたメンバーだったのかな?(「劇伴倶楽部」サイトにはあまり来てなかったので、そこらへんあやふやですが。)
それに、不破さんの学生時代のサークルの後輩の新井さん(Dr)、不破さんや猫さんと仲の良かった烈神我尊さん(Vo)、それに私と尾山さんがコーラスで参加。
もう一人のCATメンバーである桜ほのかさんは、西川さんの友達がボイトレを教えていて、その生徒さん、というつながりで1stライブをやる少し前に加入。先ほど書いた伊豆の合宿で、彼女とは一気に打ち解けた感じです。

腹巻猫さんはもともと楽器をやる人ではなかったので、最初は「司令官」という
位置づけで、1stライブではテルミンをやったりしていましたが、キーボードを習い始め、2ndライブからは2ndキーボードを担当しています。
一時期サックス担当のメンバーがいたこともあるのですが、短期間で脱退しています。

しかし、1stライブから2ndライブの間に、なんだかんだで5年間経ちました。「劇伴倶楽部」では、「Soundtrack Pub」というイベントを蒲田のStudio80(オッタンタ)というイベントスペースで年に数回行っているのですが、このイベントも2005年2月から2008年の2月まで、3年空いてるんですよね…。
また、この5年の間にメインボーカルが烈神さんから現在のXichouさんに交代しています。もともとサントラパブにはちょこちょこ来ていた方で、前から顔見知りだったし、サントラパブが終わった後の徹カラ(当時はやっていましたが、現在はとても無理です…)でもその歌声は披露されていましたので、それを見込んで猫さんが新ボーカルに誘った、という経緯です。

以下、2ndライブからの感想を簡単に書きますと、
2ndライブ(2007年7月21日)…この回から新中野の弁天でやるようになりました。
フライヤーのイラストはゆずのきB佳さんに描いてもらいました。このイラストを使った携帯ストラップも作って、会場で細々と売ったりもしましたね。今でも持ってます。
自分がソロで歌ったのは「死神の子守唄」と「クールな恋」を歌いました。ちょうど「怪奇大作戦」にはまっていた頃だったので、めっちゃタイムリー。

3rdライブ(2008年12月6日)…
「009ノ1」を歌いました。振付が難しかった。
ドラムパッドだけど、ティンパニを叩くようになったのもこのライブから。
アンコールの「いたずらのうた」で「ほんとかしら?」ってサリーちゃんのセリフを言うところがあるのですが、声がひっくり返ってしまって、なかなかうまく言えなかったのを覚えています。

4thライブ(2010年1月30日)
「いまはおやすみ」と「ハレンチ学園ソング」を歌いました。
このライブの数日後に母が亡くなってしまうのですが、練習と重なってなかなか実家に寄れなかったりして、結構心理的にハードでした。
なお、この前の年、2009年の11月に尾山さんの結婚パーティで「ゴジラのお嫁さん」「太陽にほえろ・現場検証」「太陽にほえろ・愛のテーマ」「ルパン3世・Lupin Walkin'」「クールな恋」「Taking Off!」を演奏しています。

確かこの頃だったと思うのですが、最初練習していた渋谷のスタジオが、駅前再開発のため閉鎖になってしまい、少々バタバタはしたものの、今の新宿のスタジオに落ち着きました。基本的にはずっと同じスタジオを使ってます。
渋谷で練習していた頃は、練習後に渋谷駅近くのパーラーでお茶してパセラ、というのがいつものパターンで、新宿に移ってもパセラには行っていたのですが、
あまりカラオケで歌わなくなったこと、料金が高いことから、いつの間に普通の居酒屋で練習後の飲み会をすることに…しかも家庭持ちのメンバーがいたり、他に用があるメンバーもいるので、最近は全員揃わないことも多いですが。

5thライブ(2013年2月9日) 
「Real」と「イノセント・ブルー」をソロで歌いました。「イノセント・ブルー」はほんとに難しかった…。
「HELLO, VIFAM」は大好きな曲だったので、セリフで参加出来て嬉しかったですね。

このライブの前に尾山さんの友人の方からボイトレを何度か受けました。実はこれまでちゃんとボイトレを受けたことがなくて…と書くとちょっと恥ずかしいかな。でも改めて自分の声の質や、地声と裏声との切り替えが苦手な音域なども知れてよかった。
あと忘れちゃいけない、尾山さんがギターを初披露したのがこのライブからですね。

以上、ざっと書いてみました「G-Sessionと私」。
後日また思い出したら追記するかもしれませんが、ライブ前にようやく書けてホッとしてます。
さあ寝るぞ。
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2015/5/15  16:16

投稿者:中澤

2000年の一番最初の練習は代々木だったと思う。それは多分あなたは来ていない。楽器隊+烈神さん+猫さん。
その時は取りあえずスタジオで音出してセッションでも、というレベルで、先々にライブをやるとも何とも決まってなかった。少し間が空いて「もう一回スタジオに入りましょう」という話が出た所から、バンドとして始まったのだと思う。その選曲する為に当時の西川さんのマンションに集まった時、「早瀬さんのCD制作、中澤さんがやるの?」という話をしたのを覚えているから、それが2000年の秋だったんじゃないかな。

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