41番が動き出す  野球

2010年に小瀬浩之選手が亡くなって以来、空き番になっていたオリックスの41番を、来季から佐野皓大選手がつけるとのこと。
背番号変更自体は8日にあって、「背番号41」がトレンド入りしてたようですが、その日はTwitter自体見てなくて。
日曜日に目が覚めて、Twitterで知ってびっくりして…ちょっと泣きました。

オリックス 佐野の背番号を来季から「41」に変更 10年死去の小瀬外野手以来10年ぶり復活

以下本文を引用。


[ 2019年11月8日 17:03 ]
オリックスの佐野皓大外野手
Photo By スポニチ

 オリックスは8日、佐野皓大外野手の背番号を来季から「41」に変更することを決めた。「41」は、2010年2月5日にキャンプ地の宮古島で転落死した小瀬浩之外野手が当時付けていたもので、その後は空き番号となっており、10年ぶりの復活となる。

 佐野は15年に投手として入団し、17年シーズン終了後に野手に転向。一時は育成選手契約となったが、再び支配下選手登録される際に93を付けていた。今季はチーム随一の俊足をいかし、1軍で68試合に出場。活躍を認められ、球団は他の番号への変更を打診していた。本人はいくつかあった空き番号の中から「41」を選択。球団は小瀬の経緯などを説明したが、森川秀樹球団本部長は「それでも本人は、その番号が良いというので了承しました。本人がその番号を背負って、勝利に貢献したいというので、いつまでも欠番になっているよりは良いと思う。前向きに付けていきたいという意志は尊重したい」と話した。

 小瀬の転落死について「ネットで知っているぐらい」という佐野は「(空き番号になっていた経緯は)自分はあまり気にしていない。今後、自分の番号にしていけたらな、と思う」と固い決意を示した。佐野は入団後、5つ目の背番号となる。


ここ最近はあまりオリックスの試合も見てなかったんですが、佐野選手はなんとなく名前は知ってました。サンスポの記事によると、

入団後、4度目の背番号変更となる佐野は、「(過去の出来事は)知っていました。(小瀬氏と)誕生日が(9月2日で)一緒なので縁も感じる。自分の背番号にしていきたい」と意気込んだ。


今年の2月にこんなツイートをしました。
https://twitter.com/rosetail513/status/1092743748289683457

「このまま系譜が途切れたままなのは悲しすぎるので、そろそろオリックスの41番を復活させてもいいんじゃないかなあと思うんだけど。

オリックスが優勝するか、当時いた選手が全員現役を退いてからか、それくらいの時間が経たないと難しいのかな。

もう9年か…。」

「#小瀬浩之を忘れない タグを見ていると今でも涙腺に来るな…。

忘れたくはないし誰かで上書きしたいわけでもないんだけど、そろそろ誰かが41番のユニを着ているところを見たくなってきただけ。」

小瀬もああいう亡くなり方をして、2、3年で誰かがまた41番をつけるのかな…などとなんとなく思っていたんだけど、いつの間にか、誰も何も言わないけどなし崩しに半永久欠番のようになり…。
これまでの事情を知ったうえで、41番の系譜を継ぐ人がいてくれるなんて、心から嬉しいと思っています。止まった時計がまた動き出したようで。

佐野選手はつい先日結婚したばかりとのこと。いろいろ背負うものもあると思うのですが、佐野選手は佐野選手らしく、あまり気負わず、末永く活躍してほしいと思っています。
Twitterもインスタもフォローしたので、これから応援していこうかなと。
いやマジで頑張ってほしい。

以下ちょっとネガティブな話題なのでこっちに。

正直、扱いが難しい番号ではあったと思うんですよ。病気や怪我で引退した、あるいは亡くなったのなら、悲しいけれども普通に見送れる。不祥事で辞めたのなら悲しんだり怒ったり、不祥事の内容によればネタにしたりもできる。
けどね…。

彼が亡くなったあと、2010年3月頃に、自分の気持ちを整理するためにいろいろと文章を書きなぐりました。まとまったらなにかの形で公開しようと思いつつ、結局は整理できずに今に至りますが、その一節をちょっと書きますと、


「そういえばシーズン始めに 、41番のユニフォームをベンチに掲げて戦っていたのだけど、遺族への配慮だったか希望だったかで、ユニフォームは取り外された、とのこと。理由まではわかりませんが、『結果的にチームに迷惑をかけてしまったから、あまり皆さんの心の負担になるようなことはしないでほしい。表沙汰にしたくない』という理由なのかな、と思ったり思わなかったり。

それに、もし誰かに原因があった場合、周りの人間やファンからもその人が大いに責められることは想像に難くない。
もめ事を見せられても、本人が帰ってくる訳ではない。」

「まだ若くて、これからもっと日の当たる場所へ行けるはずだった人だったのに、キャンプ中でチームメートだってそばにいたはずなのに、ひっそりと一人で旅立ってしまって、事故なのか自殺なのかも明らかにされないまま、謎を残してしまうような、あれやこれやと死因を勘ぐられてしまうような、本人のみならず、奥さんまでもあらぬ事を言われてしまうような、そんな淋しい死に方はしちゃいけないよ…。

『別冊宝島 球界のタブー』なんて本でネタになってしまうような、そういう陰を作っちゃうような幕引きを自分でしてしまったのは、本当に残念だなあと。理由についてはわからないけどね…。」


別冊宝島じゃないですけど、今年の夏頃に、たまたま本屋に寄ったときに立ち読みした「呪われたプロ野球 球界で本当にあった怖い話」 (マイウェイムック)って本に小瀬のエピソードが載っていました。買わなかったのですが。

あれから9年が経ち、小瀬と同年代の選手もぼちぼち引退するようになり、オリックスも選手がほとんどが入れ替わってしまい(まさか金子と西まで他球団に行くとは思わなかった)、いろいろあって大引と坂口がスワローズでチームメイトになり(今年初めて戸田に行ったのですが、2人とも出てたのが…見れて嬉しいというかなんというか。その後ビッキーも退団し、これからどうするんだろう)

時間は過ぎていくけど、小瀬は24歳のまま。
生きていたら活躍したのかもしれないし、しなかったのかもしれない。
どう締めていいのかわからなくなってしまったけど…小瀬浩之という選手がいたことは、忘れないです。ずっと。
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2020/1/21  2:32

投稿者:Kyon-C

>たつぶるーさん

コメントありがとうございます!ブルーウェーブお好きだったとは。

小瀬選手の件があってから、パ・リーグはなんとなくオリックスを応援していたものの、大引と坂口が出ていってしまったので応援する理由がなくなってしまいまして…。(だからといってスワローズを応援する方には行かないのですがw)

大引選手ですが、去年の9月に戸田球場でスワローズの二軍戦を見に行ったときに、最終回に代打で出ていたのを見たのが最後になってしまいました。来年のオープン戦で引退セレモニーとかやってくれるといいのだけど。

グリーンスタジアム神戸、未だに行ったことはないのですが、交通は不便だけど綺麗な球場だと聞いたことはあります。機会があれば一度行ってみたいです。

2020/1/20  9:23

投稿者:たつぶるー

当時のカレンダーで彼が期待の新人としてちゃんと採用されていて中々処分出来なかったのを覚えています。
ビッキーがヤクルトのユニの下に小瀬のユニを着てビールかけをしたり、言えなくても態度で示してくれたのも賛否両論あったけど嬉しかった。関係ないですが、元々ハンドルネームのぶるーの由来はブルーウェーブからです。当時はグリーンスタジアムに通ってました。長文になっちゃったのでTwitterではなくこちらに書き込み失礼しました。

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