2021/4/20  22:09

4月18日  昭和史
新聞もテレビもコロナ禍一色。イギリスは感染者が減りつつあるらしいが、それはワクチン接種が功を奏したらしい。日本のメディアも現実問題としてワクチン接種の報道が大きくなった。

04月18日は「アメリカ真珠湾攻撃」の立役者、山本五十六の命日。昭和18年・1943年のこと。もう78年も前のこと。当時、日本の軍部はこれを秘匿。軍事機密の秘匿は当然だが、山本五十六の戦死を一ヶ月も隠していたのは隠蔽だ。それから一か月後の06月05日に国葬が行われた。

いわゆる天空のジャッジメントで後付けの解釈だが、戦争に負けたことのない日本が負けるだろうと思った人も出始めたのではないか。私の父親が招集されたのは18年10月27日、倒閣容疑の代議士・中野正剛が割腹自殺している。21日、神宮外苑で徴兵されずにいた学生の“学徒出陣”が雨の中、挙行された。11月05日は「大東亜会議」なるものが行われて悪あがきだった。

「鬼畜米英」「撃ちてし止まむ」などのフレーズを多用、当時の朝日新聞が率先して戦局を知らない国民を鼓舞した。知らないことは恐ろしい。翌19年になってフィリピン・サイパンが官民全滅。翌20年の日本本土空襲の基地になった。世界戦略など全く知識のない東條英機首相には軍人は元より政治家も拱手傍観の態。

私の父親は「日国」という戦闘機を造る会社の社員だった。当時の軍部は経済・国力など何も考えない為体。戦争に必要な飛行機・船・武器などの生産を無視。肉弾兵器の兵員は“ねこそぎ動員”になった。筆者の父親が戦争に行くこと自体が日本の敗戦の証拠だ。

添付はサラサモクレン。

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2021/4/18  23:35

画像掲示板  パソコン
この度、真っさらの新マシンに基本的なソフトをインストール。古いままのソフトで少々ケチったために新ページがきちんと表示されない齟齬、瑕疵か。ホームページビルダーソフト、今はバージョン22、小生のは16。これができた頃のバージョンは更に難解だった。

この度の転送不良の「春の花」の頁を削除、小生のこの下のアイコンの「画像掲示板」に画像を14点、投稿した。この掲示板ではクリックすると大きな画像になる。

スマホ全盛の時代だ、自分の頁を作成、自慢の画像を展開、披瀝していた人達が高齢化、次々に閉鎖した。スマホのSNS?などが主流となり、個人のホームページそのものが廃れてしまった。画像を自慢しあうための「画像掲示板」も特定の方のみの投稿になっていた。これもEZBBSという有料の掲示板なので有効活用することにした。転送不良の「花菜ガーデン 春の花」14点を添付した。

添付はそのとき撮影した山吹。

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2021/4/15  23:42

転送不良02  パソコン
 基本ソフトを真つ新のハードに組み込みて機能の少なく直ちに起動す
 十年前のパソコンソフトも疾うに無くホームページ作成の機能は残す

後期高齢者の実情も考えずディスクトップパソコンは新しいものを購入したが、梃子摺っている。10数年前からの知り合い、神奈川県を中心に展開している元「ノジマ電器」の社員。テレビを見る機能など余計なものがないからスイッチを入れて起動が誠に早い。メール・ワード・フォトショップエレメント・筆ぐるめ・ホームページビルダー程度のソフトしかインストールしていない。だがこれでも今までの撮影して取り込んだ10年分ほどの画像を移動させたから半日の時間を要した。

撮影したものはUSBメモリーでノートパソコンへ直ぐに取り込めるし、階下のディスクトップパソコンと繋がっている。だがホームページビルダーのバージョンが古く新ページを作成しても画像の表示が何度やってもできない。年明けに死んでしまった友人が存命なら変なところで“ケチる”から言われたに相違ない。何とか今月中に正常に戻したいと考慮中。

添付は拙宅の満開のサツキ。拙宅のまともな樹木・草花はこれだけだ。

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2021/4/14  22:29

雑用の山  身辺些事
所属短歌会の先輩の歌に「……この頃お悔やみ欄に眼が行く」なる歌があったが否応でも一時代を築いた大物俳優の逝去は己の老化に切実感がある。一月末に亡くなった中学時代の畏友とは、当時娯楽と言えば映画、粗製乱造だが邦画五社が主演級俳優を離さず週一回の封切りに合わせて娯楽映画を生産した。

加山雄三の「若大将シリーズ」の脇役だった田中邦衛が88歳で先頃、老衰で死去。脚本家の橋田壽賀子は95歳、柔道の金メダリスト古賀稔彦は53歳で癌死。夫々諸行無常というしかない。片岡千恵蔵の「十三人の刺客」「裸の島」はNHKBSで録画していて友人に貸したが、突然死で息子はDVD、本の類は遺品整理に出してしまった。高倉健のDVDセット5巻返却されていた。その中でも優れたものが残っている。「夜叉」「駅」「居酒屋兆次」には3本に田中邦衛が出演。倉本聰の原作・脚本。今寝しなに見ている。

若いときに年上の女房に死なれていた畏友と連絡が密だったのは共に鰥だったからだが、若い時からで馴れているものの雑用が多い。まだ放置してある「確定申告」「特別弔慰金申告」「その友人の墓参」「春彼岸に敵わなかった自分の家の墓参」「週刊誌・月刊誌の処分」「新パソコンと古いソフトの齟齬」「駐車場の屋根を侵食するヒバの木伐採」「軍人手帳・戦地からの手紙のスキャン」「実父の行軍の足跡探求」と盛りだくさんだ。

添付は隣家のチューリップ。

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2021/4/6  20:51

転送不良2点  パソコン
「花菜ガーデン・春の花」の転送が何度繰り返しても表示できない画像がある。

最新のパソコンと古いホームページビルダーのソフトが合わないのかもしれない。画像に横縞が入るものもある。

取り敢えず「ハナモモ・残雪枝垂」「黄金マンサク」をこちらに表示する。

ディスクトップパソコンを設定してくれた人物に相談、できるだけ早く対処したい。ホームページビルダーのソフトを新調すれば解決するだろう。

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2021/4/5  21:47

更新131  パソコン
03月31日に「花菜ガーデン」なるフラワーパーク、04月01日は近所の坂東33ヶ所観音霊場07番・金目山光明寺へ桜の撮影に行ってきた。今まで寒さで足腰の筋肉も鈍かったが、ようやくたどたどしいが撮影行脚もできるようになった。今回は「花菜ガーデン・春の花」と題して131回目のホームページの更新と相成ったが、新パソコンでの“転送ツール”での送信だが、何度も転送を試みたが画像表示がうまくいかない。「ハナモモ残雪枝垂」「黄金マンサク」の2点は画像そのものがうまく表示されない。

転送が正常に戻れば「なんだそういうことか」となるが、取り敢えず「黄金マンサク」を添付する。今回はハナモモ、マグノリア、木蓮など16点、八重紅枝垂桜・水仙・山吹もうまく撮れているので追加した。春の花の満開で二首ぐらいは短歌が詠めそうな気もする。

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2021/3/25  21:04

03年03月ネット歌会  昭和史
所属短歌会では昨年04月からコロナ禍で例会は休止。パソコンを操作できる会員20名弱で「冬雷ネット歌会」を挙行。これは逆に首都圏に住まない会員も参加できるから一長一短がある。仙台、福山、カナダの会員が参加して一人2首の歌を鑑賞・批評できる。筆者の応募した03月号の2首は以下の通り。更に鑑賞してくれた方の書き込みの要約を添付する。

吾が父の死に様の推移を三尺の和紙に認め呉れし陸軍大尉
最後の二行小さき文字の楷書にて読解を依頼す書家の歌人に

会員SM氏女性
陸軍大尉が書状として丁寧に書いてくださったのでしょう。そのことの感謝、亡き父への思い、最愛の父の命を奪った戦争とはどういうものだったのか、─。「三尺の和紙」という言葉も歌の中で時代を感じさせる重みがありますね。
二首目 その書状の最後の二行は楷書であっても、現代では使われない漢字だったのでしょうか。
会員MH氏男性
「三尺の和紙」の長さに感謝の意を強めていると思います。沖縄戦で多くの民間人を手榴弾自殺に追い込んだ将校が生き残り、その塹壕の様を得意そうに語るのを見て腹立たしく思いましたが、この歌のような思いやりのある軍人もおられたことは賞賛すべきことと思います。
会員NS氏男性
これは先の太平洋戦争で徴兵され戦病死なされた父君の当時の状況を、上官が遺族宛に知らせてきた手紙のこと。戦場という劣悪な環境で病気になれば助かるものも助からず棄兵の道を辿るほかなく、戦死者のうち病死・餓死が多くを占めているということは記録が語っています。この歌では「死に様」のひと言に思いが籠められていると思います。
会員TA氏男性
2首目の最後の二行「小さき文字の楷書にて」で、三尺の和紙の構成が分ります。かな交じりの草書体、最後は意を伝えたく小さな楷書の文字で2行ほど。真相・実情を知りたく更に解読をと、気迫が伝わり来ます。
会員NK氏女性
陸軍大尉の三尺の中身を読むことは、作者にとっては、大事な父のことを知る重要な仕事だったと思われます。作者という人間のアイデンティティに関わることでもあったと思います。
会員NT氏男性
一首目:やはり具体的な「三尺の和紙」に生き証人となった。元陸軍大尉の誠実さが伝わってきます。「和紙に認め呉れし陸軍大尉」は、本来は「和紙に記せる陸軍大尉」などでしょうが、作者に認知させたという意で「認める」という言葉をどうしても使用したかったのだろうと感じました。
会員MK氏男性
Nさんの評文から一首目の作品の読みを誤読された様に思う。四句「和紙に認め呉れし」の処です。此処は同じ漢字ですが「和紙に認め(したため)呉れし」です。和紙に書き記してあると言う事です。確かなところはどうでしょうか。

以下は小生の感想への返信文。これも要約。
今回もたくさんの鑑賞有難うございました。─やはりN氏のように若い現役のサラリーマン、太平洋戦争のことなど興味を持て!?が、まず無理ですね。M氏の指摘の通り、これは「認め」(したため)です。これも上官の仕事。
ここで戦争の是非は避けて、中隊(100人規模)の司令官は尉官クラス、陸軍士官学校を出ているエリートで、部下の死は上部へ報告、遺族に通知するのも仕事でした。陸軍幼年学校、陸軍士官学校は13歳から7年、兵棋演習は当然ですが、剣道・柔道・書道・ドイツ語・ロシア語は必須。戦前のエリート軍人は和紙に候文も心得ていたようです。

二首目は選者のKY氏にお願いしました。有難いことです。
二文字ではなく「営」の正字「營」であり“集中營”となります。敗戦後、撤退の行軍の中途「集中営」を設営、戦死者の慰霊祭を敢行したらしいです。
上官は路傍の花を押し花にして持ち帰り「単カード」にして送ってくれました。昭和21年、小生は満2歳、ここまですると陸軍大尉の性格が解ります。正に「死に様」の詳しい報告と追悼です。「生き様」という昨今の言葉は基本的に間違いだと思います。

「営」の正字読み解かれをり駐屯地の慰霊祭ゆゑの集中營≠ニ知る

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最後の2行
尚同封の押花は、去る十二月四日廣東集中營に於いて御部隊慰霊祭の獻華(けんか)に候故、御佛前に御俱(そな)へ被下侍(そばに置いてくだされたく)候

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2021/3/22  23:14

戦争論推敲再開  昭和史
本年02月になって畏友の死があり、子息より喪中ハガキめく葉書で父親の死を知らせて来た。50数年ぶりに同窓会で再会、爾来平成26年から昨年まで7年間、濃密なメール交換などが始まった。01月31日の心臓発作での死よりこのやりとりを20回に亘りこのブログに記述。畏友は、毎日小生のブログを点検していたらしい。

友人も期待?していた筆者の拙論「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」は、今、中途半端に滞っている。「初めに」「後書き」は別にして10章、17項目ある。中身は多くの書の読解だが、2章に残された史料を披瀝。そこから戦争の実態を敷衍するだけの論考。未完成(赤字)の5点の記述を再開した。だが後半の「陸軍ななぜ支持されたのか」「昭和天皇に責任はあるのか」「太平洋戦争の結末」「あとがき」は無論、ステレオタイプの平和論、人間性善説の立場はとらないのでいささか難問。06月になれば喜寿77歳、ここまで生きれば人間として十分だが、やはりホームページ作成の楽しみは死ぬまで続けたい。平成20年代、スマホが主流になるまでホームページ閲覧名簿など大いに交流があった。そういう人たちは80歳を超え、ほとんどリタイアした。

目次・はじめに
1 短歌反論の反論
2 一市民への徴兵 独立歩兵第8旅団 肝3322部隊
2-2 ある陸軍上等兵の死
3 日本とアメリカはなぜ戦争をしたのか
 @日米対立の芽 大正時代の分岐点
 A日米開戦への道─ポイントオブノーリターン
 B日米間対立 松岡洋右の誤算
 C日米間交渉 近衛文麿の計算
 D日米間衝突 木戸幸一の打算
4 日米開戦に反対した人はいたのか
5 「昭和天皇独白録」にみる日米開戦の責任者達
6 帝国陸軍は何をしたのか
 @インパール作戦の現実
 A東條英機という軍人首相
 B東條英機の人間周囲
7 帝国陸軍は何故支持されたのか
  昭和12年〜16年の世相

8 敗戦の決断は何故遅れたのか
9 昭和天皇に戦争責任はあるのか
10 太平洋戦争の結末“紙の上の戦争”
あとがき エリート軍人の頭脳


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2021/3/15  21:08

新パソコン  パソコン
後期高齢者を超えたのに又、新パソコンを購入した。先月、ある夜、パソコンがインターネットに繋がらないことになった。慌てて昔のノジマ電機の知己の店員さんに来てもらって事なきを得た。昔、設定した貰ったモデムだかルーターだかの接続の不具合で、これは直ぐに治った。だが小生のパソコンは、ディスクトップが昔の「ウインドウズ7」、ノートパソコンは「ウインドウズ10」だった。それぞれ平成20年頃、26年頃と記憶している。だがもう「ウインドウズ7」は故障しても対応は完了しているとの由。

パソコンでまだ未完成の「天邪鬼の探索考 戦争の昭和史」を残しているのでペーパーの印刷は高価で預貯金から予算は困難。己の亡き後、10年くらいは残せるディスクを研究、保存しようと思案中。思い起こせば「ウインドウズ95」が発売されたのが、平成07年。そこでやっと庶民がアイコンを駆使して書類・ホームページ作成などが可能になった。

筆者の記憶はウインドウズの前のマッキントッシュ。マシンとプリンタで40万円もした。3年間、年賀状の70枚づつの印刷、一枚2000円の勘定で早とちりもいいところだった。ウインドウズXP、ビスタ、セブンとソニー・NECなど机上のパソコンは、この15年、何度か買い替えた。

ノジマ電機の元社員はパソコンのプロ、電気関係の資格を取得しているらしく今は工務店勤務。マシン、ハード、マウスなど夫々購入して基本ソフト、フォトショップ、筆ぐるめ、ホームページビルダーなどをインストールして貰った。1Fのディスクトップ、2Fのノートパソコンは無線で繋がっている。だがそれまでの使い方と少し違っていて苦労しているが、このブログ作成はノートパソコンで使える。写真印刷の「Eフォト」が消失していてまた来て貰うことになる。

二枚目の画像がここ7年間愛用の富士通のノートパソコン。

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2021/3/9  9:45

畏友 追悼20 終 浅草  身辺些事
当初のガラケーから始まった畏友・増田邦昭とのメール交換は80回前後に及ぶ。その中から20回に厳選して、主に畏友から送られた画像を中心に徒然日記を構成した。亡くなる5日前の拍手のコメントが最後になった。これは「迷惑メール」(2020・01・26)の記述だが、小生の添付画像はその日の午前中、拙宅の2階の居間から撮影したものだった。年明けから暫くは、北陸は豪雪だが太平洋側は好天が続き、富士山に冠雪は殆どなく“青富士”だった。畏友はその5日後に帰らぬ人になった。驚天動地、茫然自失だった。

≪木更津です。いつも見事な富嶽の姿。羨ましい限りです。木更津からは昔は見えたようだ。富士見通りと言う通り名や富士見町と言う町が今でも残っている。晴れた風の強い日に木更津港から横浜の奥に見える。貴方のブログのような大きな富士の姿はありません。(2021/1/26 9:54)≫

畏友と連絡が密になったのは2014年・平成26年、明けてすぐ、先ずは同窓会で再会する切っ掛けになった墨田区石原の錦糸中学とその校庭の裏側にある級友が営む喫茶店を訪問した。スカイツリーを撮影後、都営地下鉄で浅草へ移動した。中学時代、悪ぶっていた級友が今では真面目な喫茶店のマスター。同行の畏友が中学時代、堅物の読書家の雰囲気だったのだが、今は仕事に恋に知識欲、色欲旺盛なだいぶ破天荒な行動力ある人物に化けていた。

畏友は上記のコメントから5日後、多分、心臓麻痺の突然死だった。2021年01月26日で最後になった。ほぼ毎日ブログの記事を読んでくれ2回に一度はコメントをくれた。平凡な言葉だがこれからは只々寂しい限りだ。

畏友、追悼は20回、今回で終了。電話でのやりとりの中で生き残った方が、先に死んだ方へ墓参する約束だった。暗黙の了解で、筆者の私が当然、先だと思い、墓地と墓碑を知らせておいた。世の中思い通りにはいかない典型だ。遺児に問い合わせをするが、納骨が終了したら千葉県市川市の墓地へ墓参する。友よ!待たれよ!

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