2015/7/15  20:26

砂町銀座  身辺世相
東京生活で無縁だったのが山手地区、「テリトリー東京」と「秋葉原」以外は、目黒、亀戸に縁がある。亀戸は番外編の予定、平成08年、一年間だけ住んだのが江東区北砂、「砂町銀座」という670mも東西に延びる商店街があった。

平成06年暮、プライベートに死があったので、現住所の平塚市の自宅を他人に貸し、定年まで東京生活をしようとした。片道2時間強の通勤を解消、確かに通勤は楽になったが、江東区北砂の1DKの家賃・駐車場代は11万円、自宅の貸出し家賃は9万円、差引き3万円の赤字だった。借りたマンションは、「清澄通り」「明治通り」の交差する幹線沿いでしかも地面の柔らかい砂町。大型トレーラーが通過するだけで“震度3”の揺れだった。早々に退散する羽目になった。些細な事実は理想を砕き、傍目には喜劇になる。

昭和から平成時代に変わるとき「NHK特集」12本の再放送があった。2本目が≪昭和54年8月15日 60分「私の太平洋戦争―昭和万葉集」≫。

 あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげに言ふ
                                        土岐善麿
 あかだもの葉末ゆすりて吹く風の涼しき夏にまた逢へるかも 湯川秀樹
 一線は全滅せりと喚(おら)びつつ熱に狂ひし若き隊長     田中富雄

「あなたは勝つものと思っていたのか?」とのインタビューが江東区砂町銀座だった。なぜ砂町だったのかは解らない。だが戦後34年目だからより切実感があった。「勝つものと思っていた」との媼の戸惑い気味の答えは、市民感覚だろう。因みに講談社の『昭和万葉集』20巻は昭和54年の発行、6巻目は「昭和16〜20年」で畏友より借りたままだが所属結社の歌人の歌も載っている。以下は筆者が平成18年に作製した頁。当時はアナログ放送でウインドウズ98で画像を静止画キャプチャで取り込めた。短歌に解説・説明は不要。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyou02.html

この北砂に住んでいる頃、NHKの暮の首都圏番組で、俳優のきたろうが“重箱”を持って砂町を歩く試みがあった。結論は「節料理」が全て砂町銀座で調達できた。筆者も翌日、栗きんとんを購入した記憶がある。着目が面白く東京下町の商店街では当時はこれが可能だったと思う。今も多分可能だろう。なにしろ明治通り側の入り口には魚屋があってよく利用した。商店街でなければ魚屋は流行らない。

砂町銀座は「丸八通り」「明治通り」を東西に結ぶ670bの商店街。都営地下鉄新宿線、東京メトロ東西線の中間で最寄のJR亀戸から都バスの便しかない。蛇足だが亀戸から引込み線があって土屋文明の歌にも登場する。居住した北砂の近くに「志演尊空(しのぶそんくう)神社があった。20年前の追憶。

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