2016/2/26  21:56

二二六事件  昭和史
今日は、昭和11年02月26日から80年目(昭和換算で本年は91年)で帝国陸軍が決起した「二・二六事件」があった日。明らかに“右寄り”の産経新聞でももう二・二六事件のことは掲載されない。だが今日は、NHKが渋谷にある記念碑の前で黙とうする警視庁警護班(当時5人が殉職)の姿を取材、報道していた。意図は知らされず動員された当時の一般兵士(現在99歳)へも取材していて興味深くニュースを見た。

暗殺された当時の教育総監・渡辺錠太郎陸軍大将の愛娘、渡辺和子は当時9歳、今89歳でシスター。歴史ヒストリアでもインタビューも受けていたし、文藝春秋03月号でも昭和史の専門家・保坂正康のインタビューをも受けている。目の前で父親が殺された。

この反乱軍の決起では、総理大臣経験者、高橋是清・斎藤実が惨殺された。岡田啓介総理大臣は間違って松尾伝蔵が殺され難を逃れる。終戦の時の鈴木貫太郎内大臣はは辛うじて生き残った。吉田茂の岳父・牧野伸顕(大久保利通の次男)は未遂に終わっている。

今文庫本13冊の7冊を費やして評価の高い『昭和史発掘』の二・二六事件を読んでいる。昨年も二・二六事件を記述した。詳しい読書感想はいずれ叙述、推敲します。添付は至文堂の「現代のエスプリ」昭和50年発行。文系の学生が史料として用いた至文堂の「解釈と鑑賞」、学燈社の「国文学」も休刊、廃刊だ。折しも大型書店の池袋・芳林堂が破産手続きに至ったとネットのニュースがあった。出版事情が減退している

二・二六事件の前段階が「陸軍士官学校事件」(昭和09年11月)。陸軍の主導権争いがその問題の核だ。その翌年に陸軍の逸材と言われた永田鉄山が暗殺された。いわゆる「天空のジャッジメント」で言えば、昭和12年「近衛文麿内閣」ができたころは、「とき既に遅し」で、政治家が軍部を抑えられなくなっていた。この事件の根源は、陸軍の派閥争い、陸軍縮小問題、昭和恐慌という東北地方の疲弊が主な原因。軍人の相克が庶民にしわ寄せがくるのは古今東西変わらない。今も存在する独裁国では、暗殺は続いている。

クリックすると元のサイズで表示します
0


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ