2016/12/13  17:47

タモリ  身辺世相
タモリこと森田一義を中心に据えた「タモリと戦後ニッポン」は労作だ。いつもの通りざっと読んだが、タモリが昭和20年・1945年08月生なのでこの芸人を基本軸にした戦後日本のウオッチングだ。所謂大物のタレント、俳優、作家などに触れつつ戦後全般のテレビを中心にしたもの。同年早生まれの吉永小百合については詳述されている。藤純子、落合恵子、連合赤軍の永田洋子、重信房子、「楯の会」の森田必勝なども1945年生。筆者は19年生。

年齢は異なるが、萩本欽一、ビートたけし、明石家さんま、笑福亭鶴瓶などの芸人、後半には森繁久彌、植草甚一も詳しく考察されている。福岡在住だったタモリを発掘したジャズ奏者の山下洋輔、漫画家の赤塚不二夫との出会いも詳しく書かれ、その経緯は面白い。

タレントとしてのタモリは、好き嫌いは別にしてその才能は誰しもが認めるところ。当初は夜の番組が主体で、密室芸のモノマネ芸人が、憂慮されたが昼間の帯番組で成功した。32年間続いた「笑っていいとも」は一昨年終了した。インターネットはとにかく凄い。32年間の毎日の出演者が記録されている。

「笑っていいとも」は毎週日曜日に総集編があった。主にテレフォンショッキングに出演した金曜日までの5人の芸能人、有名人が編集されて再放送があった。丁度VHSのVTRが出始めた頃で録画に親しんだ記憶がある。昭和60年に俳優の近藤正臣が出演して、その日、近藤のモノマネで人気を博した小堺一機・片岡鶴太郎が出演して本人を交えて近藤のモノマネで終始した。この30年前の番組がユーチューブで見られるのは今日的だ。

タモリはナンセンスなモノマネ芸が出発点でも、ボウリング場の支配人時代は休みも取らず勤務したというから、毎日、スタジオのある新宿へ“出勤”できたのであろう。その前の生命保険会社の時代に2歳上の女性と結婚している。子供は居ない。幼いの頃の怪我で右目は失明しているらしく義眼だと云う。それにしても32年間で100億の収入を得た。これは個人の才能だ。タモリは特注のアンプ、スピーカー、プレイヤーを所持している。数千枚の植草甚一のジャズレコードを買い取った。所持するヨットも豪華だという。ヨットは森繁久彌の助言があった。今、悠々自適の生活だからそのうち引退だろう。「ブラタモリ」では歴史の知識の豊富さを披瀝している。

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