2017/3/21  21:22

エッセイの昭和05  昭和史
山口瞳は1926年生。いわゆる数え年なら昭和の元号と同じ。平成07年・1995年に70歳を前に死去している。昭和38年(1963)に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。作家に専念する前には洋酒の「寿屋」に勤務していた(現サントリー)。何と言っても一世を風靡した「トリスを飲んでHawaiへ行こう!」とのコピーで有名だ。特筆されるのは週刊新潮に連載された「男性自身」というエッセイ。昭和38年から亡くなるまで31年間、単純に計算して1500回も続いた。これは新潮文庫で27冊、発行されている。

添付の書『旦那の意見』(中央公論社)は、昭和52年の発行。(四六判・上製本、9ポイント、43字×17行×256頁)。当時は「ロッキード事件」で、田中角栄・前総理大臣が逮捕されたあとである。「下駄と背広」で、その総理大臣の如何わしさ!を手厳しく批判している。1冊のみ所持している「男性自身」シリーズの「巨人ファン善人説」(新潮文庫・昭和62年発行)も活版印刷。こちらは8ポイント、41字×18行×318頁。

活版印刷の製版では“ぶら下がり”という処置があった。44字なら45字目が句読点・句点(ハジマルと現場では称した、文章の最後の小さい○)の場合一文字が下揃えから、はみ出る処置だった。それが鍵括弧の下の部分になれば、鍵括弧の下部と共に次行へ送る。したがってそこが一字、空白になる。それを解消するために「四分割り」の処置をした。活字は全て真四角、4分割した鉛の込め物で一行・44字の中に処理して整えた。これはどんな高級な書でも同様だ。今のコンピュータの製版では44字なら1字・2字少なかろうと1行の中で処理される仕組みになっている。

前述の「下駄と背広」では、山口瞳は、田中角栄は嫌いな政治家では決してないが、誰が何と言っても、これだけは許さない、と「靴下に下駄ばき」を非難している。背広でネクタイをしめて靴下を履き、下駄ばきで庭石の上に立ち、鯉に餌を与える、あのお馴染みのシーンである。ここだけは評論家・立花隆に賛同、「政治を土建屋の感覚でやる人」と胡散臭さを厳しく指摘している。

昭和52年は、前年自民党副総裁の椎名悦三郎裁定によって三木武夫政権だった。この事件に違和感を覚えたのは自民党の実力者だった。最近のNHK特集でも、この事件はアメリカの陰謀だったことがほぼ解っている。だからではないだろうが、日本の司法最前線は、よほどのことが無い限り、大物政治家を逮捕することは慎重になっていると思う。

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