2020/1/9  23:47

啄木子孫その後02  昭和史
前回の記述で、石川和幸氏から頂いたメールの指摘で「石川啄木の子孫」を訂正した。啄木の家族は、本人、妻、長男、長女、次女と早逝だった。長女・京子も24歳で亡くなったが、二人の子を成して末裔が栄えている。そのことを紹介したのが、当初の「石川啄木の子孫(2009/8/22)」だった。昭和55年11月号の雑誌・太陽「一握の砂刊行70周年記念」の啄木特集で、筆者の私は啄木の孫・石川玲児氏の画像を勝手ながらスキャンして記事にした。

前回の記述で理解できると思うが、和幸氏のいとこ(同齢)になる石川晶子氏に関連する展開となるので紹介するが、ここは前置きが聊か長いので読み飛ばしていただいて結構。筆者の冬雷誌上(平成25年07月)にエッセイとして掲載した「石川啄木の子孫」を冬雷短歌文庫『相生坂』(平成25年09月発行)にも掲載したのが縁だった。

平成28年06月号に「村上一郎の歌」「『無名鬼の妻』(山口弘子著)を読む」の二点を冬雷誌上に掲載。これを鑑賞した「りとむ短歌会」の加納亜津代氏から葉書を頂いた。『無名鬼の妻』は、冬雷表紙絵の嶋田正之画伯から回覧のかたちで筆者に来た。“無名鬼”こと村上一郎を知っていた。気に入った書籍は書き込みを入れるので新たに前記の本を購入、何度も繰り返し読んでマーカーを引いて理解に努めた。

三島由紀夫切腹事件で解説者として一躍、売れっ子作家になったが、自らも村上一郎は鬱病で昭和50年自刃。奥様の長谷えみ子氏(95歳で存命)は、馬場あき子氏に勧められ「りとむ」同人となり短歌を始め、今も投稿しておられる。山口弘子氏もむろん「りとむ」同人。

紹介者・加納亜津代氏に謝礼のハガキの返礼で小生の『相生坂』を送付した。そこでこの加納氏がコピーして送ってくれたのが高幣美佐子氏のエッセイ「啄木の額」だった。高幣氏は中学校教師出身で「りとむ」同人。教師赴任の最初の教え子が、啄木の曽孫・晶子だった。内容は次回。

添付は筆者の書斎!からの画像。午前中撮影。

クリックすると元のサイズで表示します
2


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ