2020/2/2  23:32

202022  読書
2と0が並んだ日、元号も02。昔なら子供じみているが、記念にJRの切符を買っていた。今は気力無し。確か「平成070707」の切符がある筈。閑話休題。

平成10年に所属短歌会に入会。重複するが「門前の小僧習わぬ経を読む」が現実になって短歌実作を始めたが、言葉を五つ並べての短詩形文学は良く考えれば最後は、個人の資質に及んで難解だ。筆者には印刷の製版の経験のみに頼っての入門なので鑑賞には耐えられるものが少ないのが実態。

平成10年代は“ウインドウズ95”からパソコンの世界に突入したが、まだ短歌原稿はB5判200字詰め原稿用紙が主流だった。元号の記憶だが平成20年代には一気呵成に「あれよあれよ」と言う間にスマートフォンの時代に突入。電話・カメラ・ムービーまで搭載。やがては短歌誌そのものが、タッチパネル操作によるタブレット端末中心のペーパーレスの時代になるのは時間の問題。

筆者の私が所属短歌会の文字入力をリタイアするのは時間の問題だった。各欄の選者が自分で文字入力をするのは出版・通信がデジタル化の現代、マイナーな短歌会が採る歌壇の方向を示唆するもの。この点では大手の短歌会は会員が多ければ収入も多いから悠長なものだろう。カット画像の提供が思うようにならなくなったのは個人の体力的都合。昔の鉛活字の文選が消滅したのに似た悲哀を意識する。文字と画像双方の終了を軌を一にするのは世間ではこれを“潮時”と言う良い言葉がある。

平成20年からブログを展開している者としてはここでギアチェンジ。当初の目的の主眼、「昭和史」に自分なりに令和の時代だが、主義主張することを念頭にしたい(専門家ではないので読解中心)。大方は読後済だが、枕元に置いて再読・三読を施すのは昭和史の専門家の記述と著作。ただし寝そべっての読書は加齢も相俟って、中途半端に終わるのは必定だろう。

昭和の時代、生存していた3000人もの旧大日本帝国陸軍軍人・政治家・文化人に個人的に精力的に取材して、ノンフィクションを著わしたこの道の第一人者になったのが保阪正康氏。氏は最近自裁した60年安保のリーダーでもあった西部邁氏と学生時代北海道で知己だった。共に昭和14年生。氏の旺盛な執筆の切っ掛けとなったのが、三島由紀夫の「檄」の「死なう」という旧仮名のフレーズ。戦前のひとつの世相の「死なう団事件」を綿密に描いて、当時の昭和史の第一人者松本清張に帯文を貰っている。

◇「歴史街道2018・12 日米開戦」PHP研究所
◇「歴史街道2019・05 昭和史の本質」PHP研究所
◇「令和を生きるための昭和史入門」保阪正康 文春新書 2019
◇「昭和史の急所」保阪正康 朝日新書 2019
◇「六十年安保」西部邁 文春学芸ライブラリー 2018
◇「戦前の日本」武田知弘 彩図社 平成21
◇「くらしの昭和史」小泉和子 朝日新聞出版 2017
◇「戦前日本の真実」水間正憲 PHP研究所 2014

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