2020/2/26  22:44

新書乱読07@  読書
『対談 昭和史発掘』 松本清張 文春新書 2009年

二・二六事件 事件勃発
今日は02月26日、昭和11年(1936)に所謂二・二六事件のあった日、このブログでも度々取り上げているが、それから84年、今の若者は元より新聞・テレビのメディアも殆んど無関心。ここ一ヶ月は「コロナウイルス」のニュース一辺倒。筆者の所属する短歌会でも03月の第二日曜日の例会も中止、初めてのこと。このウイルス問題が国内の政治・経済にどう影響するのか。

NHKBSで昨年08月15日に放送された≪NHKスペシャル「全貌 二・二六事件〜最高機密文書で迫る〜」≫が02月23日に再放送され、これを録画・鑑賞した。NHKはこの事件の一部始終を記した「最高機密文書」を発掘して番組を制作した。文書を秘匿していたのは帝国海軍の富岡定俊(最終階級は海軍少将)。1936年02月26日早朝の事件勃発から4日間の決起部隊の状況が全て時間単位で把握されていたことに昭和史・海軍研究者が驚嘆した。秘匿していた理由、その入手源、方法は謎だという。

素人でも解ることは陸軍・海軍は終戦まで対立していたこと。外国と戦争をするのに、海軍は予算拡張のために先ず陸軍と、陸軍は組織として海軍より人員と予算を獲得すること先決。外敵より内敵を先ず抑えることが優先だった。これでは勝てる戦争(勝てないが)も勝てない。

以前の記述と重複するが、事件は詳述を避けるが、昭和11年02月26日早朝、20人の青年将校が1500名の兵士を率いて首相官邸などを襲った。総理大臣・岡田啓介、大蔵大臣・高橋是清、内大臣・斎藤実、陸軍教育総監・渡辺錠太郎が(陸軍大将)殺され、侍従長・鈴木貫太郎が瀕死の重傷を負った。だが岡田啓介総理大臣は、間違って松尾伝蔵(陸軍大佐)が殺され難を逃れる。松尾は総理の私設秘書の予備役だった。

首謀者の青年将校は何となく覚えている、“アンクリイソムラ”即ち安藤輝三、栗原安秀、磯部浅一、村中孝次。磯部と村中はこれ以前に昭和09年に「陸軍士官学校事件」でクーデターを計画したという理由で免官になっている。決起将校の目的は天皇の“君側の奸”を排除することだった。この頃の昭和天皇は34歳、4歳から11歳まで鈴木貫太郎・たか夫妻に育てられている。決起将校にいかなる理由があれ天皇も人間、逆鱗に触れ討伐を命じた。

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