2020/3/6  23:08

新書乱読07E  読書
二・二六事件 鎮圧の決断
時系列で言うと事件は、昭和11年02月26日の朝05時から06時の一時間の襲撃。天皇を取り巻く重臣を狙撃殺戮してからの青年将校の行動は単純。結果論だが青年将校は、昭和恐慌で餓死するほど農民が多いのに、都会の財閥・財界人は政治・経済を牛耳っていて裕福な生活を恣にしている。統治権という主権者の天皇と統帥権を持つ大元帥(共に昭和天皇)に仕え、政治・経済を握る財界人、重臣に民心は等閑にされているという単純な発想だった。決起する理由・経緯は数多の著書があり新書も文庫も多い、ここでは割愛。「蹶起趣意書」には元老、重臣、軍閥、政党などが国体を破壊しており、天皇親政の「昭和維新」を断行するという政治を刷新する気概に充ちたものだった。

当時の陸軍大臣は川島義之(1878生。陸士10期)陸軍大将。いわゆる陸軍派閥に属さない軍人(前任は見事な八の字髭の林銑十郎で4ヶ月だが総理大臣にもなっている)。皇道派の若手将校の起こしたこの大事件に対処できなかったのが結論になる。「蹶起趣意書」を受け取った川島は、午前09時に拝謁する。天皇は「速やかに事件を鎮圧せよ」と命令した。午後、皇族、皇道派の領袖・荒木貞夫、真崎甚三郎などが非公式に集まり事態を収拾しようとする。武器をもって陸相官邸、参謀本部を占拠する若手将校を持て余したのが真相。出された告知は曖昧なものだった。(原文は片仮名)

一、蹶起の趣旨に就ては天聴に達せられあり
二、諸子の真意は国体顕現の至情に基くものと認む
三、国体の真姿顕現の現況(弊風をも含む)に就ては恐懼に堪えず
四、各軍事参議官も一致して右の趣旨により邁進することを申合せたり
五、之以外は一つに大御心に俟つ

これでは青年将校の意志に沿ったものなのかよく解らない。本庄繁侍従武官長は決起した将校の言い分を上奏した。尚いわゆる決起将校の山口一太郎の妻は本庄の娘だった。天皇は本庄の説明に耳を傾ける気は無かった。午後になって岡田内閣の閣僚が集まり始め後藤内務大臣が首相代理になる。事態が収拾されるまで三日を要したが、青年将校の士官学校の教官が真崎甚三郎で、彼らの主張は“真崎内閣”を作るのが基本で真崎は「お前たちの気持は判っている」と言い満更でもなかったようだ。

この二・二六事件の決起、結末、裁判、理由の経緯は、それまでの事件・人物が錯綜し、結末もいわゆる暗黒裁判で膨大なものになる。彼らに影響を与えた北一輝をも記述すると本格的でブログの記述にならない。松本清張の「昭和史発掘」の文庫本13冊の8〜13がこの事件。ウェブのウィキペディアでもA4判で40〜50ページにもなる。ここでは『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)『昭和天皇独白録』(文春文庫)の発言を記述して昭和天皇の決断を理解する。

◇「鈴木侍従長は生きているか」昭和天皇語録
◇「早く事件を終息せしめ、禍を転じて福となせ」昭和天皇語録
◇「朕がもっとも信頼せる老臣をことごとく倒すは、真綿にて朕が首を締むるに等しい行為なり」昭和天皇語録
◇「私は田中内閣の苦い経験があるので事をなすには必ず輔弼(ほひつ)の者の進言に俟ち又その進言に逆らはぬ事にしたが、この時と終戦のとの二回丈は積極的に自分の考を実行させた」昭和天皇独白録 注・田中(義一)内閣

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