2020/6/10  21:53

フォークソング  身辺些事
所属短歌会で「ネット歌会」が始まった。コロナ禍で毎月行われる例会が3月から休会。例会では掲載された自分の短歌を読み上げ、出席者がそれを批評する。4ヶ月連続して休会、止むを得ないことだが、夫々の短歌を批評するのは、今は指定された評者が、誌上で担当の作品欄の短歌を批評するのみ。所属する短歌会の「投稿欄・批評欄」がネットに作成された。どうなるか、会員皆は暗中模索だったが、パソコンを駆使、メール投稿する方々には好評。次々に書き込まれている。

 フォークとてもてはやされし者たちのテレヴィに並ぶ七十といひ

入会されたばかりだが、他の結社で運営に携わって来られた方が居る。鋭い批評を展開するこの方の歌が前記。以下は、テレビ局で美術を担当されてきた方の感想。「初句のフォークが気に成ります。スプーン、フォークの(食器具)フォーク、フォークソング、フォークダンス、フォークシンガーはてさて!!」。続けて作者は「あの連中の頃「何でもフォーク」で騒がしかったのです。「四畳半フォーク」というのまで出来ましたね。」と書き込まれた。

評者の私は、フォークソングを歌っていた歌手が一堂に集まった歌番組を見ての短歌だと納得した。フォークソングと厳密に言えば、井上陽水、南こうせつ、吉田拓郎、海援隊などか。筆者には昭和42年頃、勃興したグループサウンズの「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」が好きだった。「ブルーシャトー」はメンバーの井上の作曲。当時、筆者は20代前半。その後に「ザ・タイガース」、「ザ・スパイダース」、「テンプターズ」等等。昭和48年頃にはトリオの「ガロ」が売れた。

だがブルーコメッツの井上大輔は鬱病で自殺。吉川も先頃病死。スパイダースの「かまやつひろし」も病死。俳優として開花したテンプターズの萩原健一も2年前に病死した。

昭和46年、東京ドームで解散コンサートを挙行した「ザ・タイガース」は、7年前に再結成コンサートを同じ東京ドーム(平成25年12月)で挙行、観客も孫の居そうな女性ファンで超満員だった。沢田研二・岸部一徳・加橋かつみ、森本太郎、瞳みのるは健在だった。沢田はソロ歌手、岸部一徳は俳優として成功している。ことにドラムスの瞳みのるは解散後、中退だった高校を20代で学習、卒業。慶応大学に学び、卒業後は高校の中国文学の教師になった頑張り屋。短歌に詠われたように「七十といひ(言い)」、みな70歳代の年齢だ。作者は束の間、そこに栄枯盛衰を見たのではないか。その作者は元NHK職員、民謡に詳しい。

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