2020/8/6  23:59

大正7年・1918  身辺世相
戦前、陸軍のエリート軍人でなければ入室出来なかったのが千代田区三宅坂の参謀本部作戦課。軍事機密に関わると言われればそうだが、今の各省庁の本流の居場所以上の存在で、殊に参謀本部は陸軍部のヒエラルキーの頂点。それがゆえに軍事に関することは、他人の意見に耳を傾けることのない傲慢な存在だった。下からの情報をないがしろにしたがゆえに裸の王様、つまりは日本の戦争は残酷な結末を迎えた。軍事エリートは専門職で国のリーダーではない。明治維新を成し遂げた長州・薩摩の偉人と比べるべくもない。

以前「インパール作戦小論」の結末部分で陸士(陸軍士官学校)22期と25期の乖離について少しく触れた。22期は1910年・明治43年、日韓併合があった。世は日露戦争の勝利に酔いしれていた。25期は1913年・大正02年、「大正政変」の年。3年の相違で戦争の捉え方が違っていたように思う。

筆者の母親は大正07年・1918年生。この前後にロシア革命、平民宰相・原敬(はらたかし)登場、パリ講和会議に参加と昭和の激動の予兆があった。どうやら大正時代の中間地点に軍部独裁の芽が擡げたように思う。これが最近の筆者の「探索考」の理解。

1904 日露戦争終結
1917 ロシア革命
1914〜1918 第一次世界大戦
1918・大正07年 原敬首相就任、石原莞爾陸大30期卒
1919 パリ講和会議
1920 国際連盟加入
1921 ワシントン海軍軍縮会議、四カ国条約、日英同盟破棄
1921 原首相暗殺、バーデンバーデンの密約(薩長派閥打破の密約
1922 ワシントン海軍軍縮会議、九カ国条約
1923 関東大震災

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