2020/8/16  16:41

夏のセレモニー  身辺世相
8月上旬は東北四大祭りだが本年は縮小・中止だったのは残念。06日・広島原爆、09日・長崎原爆、12日・日航機事故、15日・終戦記念日だった。都市部以外では旧暦の盆、13日に迎え火を焚く。今日16日は先祖の魂を送る。これで日本全国夏のセレモニーは終わった。

戦争の「昭和史」は、専門家の論考でも敬遠されがちなのに素人の論考では到底見向きもされない。平成時代に入ってから「昭和史回顧」というジャンルが意識されるようになったが、戦争に関わることは保阪正康という先駆者の成せる業だった。今では手にすっぽり入るテープレコーダーだが、なにしろ昭和の時代は肩で背負う程のオープンリールではなかったのか。旧軍人3000名にインタビューは先駆的記録。それも個人的に丁寧に手紙を書いての依頼だったらしい。今それら戦争に関わった高級将校はもう居ない。

一般の読者はこういう泰斗の著作であればこそ昭和の戦争の疑念も少なからず解消される。筆者には自分の追及する道筋に資料を案内してくれるのが実情。ずばり『昭和史入門』もある。太平洋戦争といえば原爆投下、東京大空襲、沖縄戦の極めて悲惨な具体的事実に触れれば、その原因に嫌でも触れる。もう一つ上の原因になれば愚かな軍人・政治家の所業にふれる。だが戦争の追及は多分そこまでだろう。戦争はそれ自体が“絶対悪”だから戦争を否定して普通なら追及はそこまで。日本の戦争の論考はそこから先は学者の世界だった気がする。

戦争の惨劇・悲劇は、劣悪な戦争指導ゆえだが、エリートと言われる高級将校やそれに引きずられた政治家、世相にも責任はある。だが戦前は殆ど自存自衛、皇国臣民、神州不滅、鬼畜米英という精神論一辺倒だったのが310万人の死者となった遠因だ。物理的結果は愚かな国家的“全体の空気”の果てだっただろう。具体的物理的悲劇には具体的物理的決定の原因がある。先ずは日本兵のみすぼらしい軍服と武器がこれを物語る。いささかの訓練と三八式歩兵銃と手榴弾を持っての肉弾戦。世界を相手に戦争を挑む国力など最初から無かった。試験で勝ち上がってきたエリート軍人は否応なく招集された兵隊を鉄砲の玉のごとく消耗品として消費したのが現実。

 一兵卒哀れなるかな扱かれてひたすら歩いて黄泉の国へも

添付は門前の盆飾りとヒメイタビ。

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