2020/8/24  23:56

近代日本の暗殺  日本史
明治維新から太平洋戦争終戦までの政府要人のいわゆる“暗殺”を著した書籍は殆どお目に掛かれない。一冊に纏めても売れる本ではない。しかし内容はかなり重要。夫々の経緯が夫々の著書に詳しく論考されている。暗殺と云えば幕末の坂本龍馬が有名。歴史に“たら、れば”は空しいが、この人物が暗殺されずにいたらと思う人物が多い。筆者の私が強調したいのが、明治維新に関わった薩長以外から初めての首相の原敬(はらたかし)。

原は議会制民主主義下の日本で政党人それも薩摩長州以外の東北の出身の総理だった。ここが近代政治の分岐点だった。明治維新世代の元老・山県有朋は政党政治を嫌ったが政党政治家のリアリズムに邁進する原を認めていた。原亡き後、山縣もかなり落ち込んで病死した。原は確実に国際協調を目指し軍人の跋扈を抑えた気がする。

永田鉄山(ながたてつざん)亡き後、85年を経過する。多くの識者が今でも昭和の軍人の天才として評価する。松本清張の『昭和史発掘』が端緒で世に知られた。陸軍内部のいわゆる統制派・皇道派の対立は熾烈を極めた。永田の軍務局長就任後、多くの皇道派の軍人を粛清した。昭和10年、皇道派の相沢三郎中佐に白昼堂々刺殺される。陸軍省の心臓部の軍務局が手薄なセキュリティに唖然とする。皇道派は天皇神格化、仮想敵はあくまでソ連。これが転機で翌11年、皇道派の青年将校が二・二六事件を起こす。

近代の国家総力戦を知悉する永田は統制派の筆頭。両者に常に軋轢があった。永田が無事であれば必ず陸軍大臣か参謀本部総長。東條英機、杉山元などという国際情勢も国際条約も知らない陸軍のことしか知らないボンクラの出番は無かった筈。「永田ありせば日米戦争など無かった」という多くの指摘がある。大久保、伊藤、原、犬養、永田への暗殺は愚者の行為で、確実に近代日本の損失だった。重ねて言うが永田鉄山が陸軍大臣だったら徴兵された一般兵の肉弾戦強要など無かった。

◇大村益次郎 1824〜1869 日本陸軍の創始者 45歳
倒幕・王政復古の戊辰戦争勝利。木戸孝允、大久保利通と共に明治新政府の幹部。元長州藩士のいわゆる守旧派の刺客に襲われ二か月後に死去。
大久保利通 1830〜1878 初代内務卿(実質総理大臣)47歳
西郷隆盛、桂小五郎と明治維新三傑と称される。薩摩出身、近代日本の政治のリーダー。石川県士族の反乱により千代田区紀尾井坂にて暗殺される。
伊藤 博文 1841〜1909 初代・5・7・10代総理大臣 68歳
松下村塾に学び日本帝国憲法を起草。日本初の議会政治の首相。朝鮮人の民族運動家・安重根に射殺される。初代韓国統監。実際は韓国の理解者。
原   敬 1856〜1921 第19代総理大臣 65歳
東京駅で19歳の少年・中岡艮一に刺殺される。総理大臣を刺殺して大審院では死刑を免れた。後に釈放。1980年まで生きる。背景に右翼の存在がある。
◇浜口 雄幸(おさち)1870〜1931 27代総理大臣 61歳
大蔵官僚出身。幣原喜重郎と同級生。立憲政友会総裁。東京駅で右翼・佐郷屋留雄に撃たれる。翌年、感染症で死亡。中国強硬派の森格の存在もある。
◇井上準之助 1869〜1932 浜口内閣大蔵大臣、日銀総裁 62歳
浜口雄幸内閣の大蔵大臣。荒療治で本本位制を復活。昭和恐慌の緊縮財政で海軍予算を削減、海軍・右翼に怨まれ團琢磨と共に血盟団に射殺された。
犬養  毅 1855〜1932 29代総理大臣 77歳
42年間、衆議院議員18回連続当選。西園寺公望の推薦で77歳で首相就任。五・一五事件に遭遇、海軍青年将校に自宅で襲撃される。5時間後に死亡。
永田 鉄山 1884─1935 陸軍省軍務局長 51歳
日本陸軍では石原莞爾と並び最高の逸材と今も称されている。陸軍内部の統制派、皇道派の抗争で、相沢三郎に白昼刺殺される。二・二六事件の原因。
◇高橋 是清(これきよ)1854〜1936 20代総理大臣 81歳
二・二六事件に遭遇、6発の銃弾に倒れる。昭和前半の財政立直しに尽力。
◇斎藤  実(まこと)1858〜1936 30代総理大臣。77歳
二・二六事件に遭遇。47発被弾して即死。海軍軍人出身。岩手県出身。歴代首相のなかでも最も英会話が堪能だった。着任したばかりのジョセフ・グルー米駐日大使は嘆いた。

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