2020/11/3  23:50

戦争論推敲02  昭和史
添付の新書の初出は2005・平成17年の文藝春秋の特集号「日本敗れたり─あの戦争になぜ負けたのか」。新書も初出も手元にあるが、昭和16年10月、近衛文麿が内閣を投げ出した?ことなど専門家が詳しく論じている。このときの専門家は、近衛文麿の経緯には詳しく単に貶してはいない。当時の50個師団、200万人を擁する帝国陸軍の横暴をこれは詳しく論じている。

筆者の拙い論考「天邪鬼の探索考」は非軍人の松岡洋右、近衛文麿、木戸幸一に詳しい著書を何冊も読解している。殊に昭和15年暮からの“日米交渉”は太平洋戦争・大東亜戦争の原因の重大な部分。前述の三人の政治家も陸海軍の軍人すらも「さあアメリカと戦争を始めましょう」などと言った人物は誰も居ない。むろん昭和天皇も米英との戦争などとんでもないとの立場だった。

今、その200万人をバックにした東條英機を排除できなかった近衛文麿の項目を10月下旬から推敲している。以下の6点は、専門家の論考も多彩。近現代史の素人も理解するのは難しく、筆者の私のいわゆる山場。終戦後、近衛文麿は責任を押し付けられ服毒自殺した。犯人は内大臣の木戸幸一。A級戦犯で10年間服役のあと釈放。その証拠に昭和52年まで生きた。木戸幸一、ナチスに取り込まれた大島浩、海軍大臣だった嶋田繁太郎は、東京裁判で5対6の評決で絞首刑を免れた。一切弁明をしなかった昭和11年の首相・広田弘毅は6対5で絞首刑になった。理由は軍人を跋扈させたというもの。これは多分に嘘くさい。

(1)日米諒解案 日本の民間人の日米交渉。松岡洋右が潰した。
(2)ハル四原則 アメリカの国務長官、コーデル・ハルの基本原則。
(3)日米首脳頂上会談 ルーズヴェルト・近衛の直接会談は拒否された。
(4)日本政府外務省甲案・乙案 外務大臣・東郷茂徳の試案提案。
(5)アメリカ暫定案 これが一番の難問。アメリカは本気で無かった?
(6)ハル・ノート手交 日本はこれを最後通告と認識した。

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