2020/11/25  23:41

三島由紀夫  昭和史
昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊の建物で割腹自殺した。そこから既に50年が経った。左筋の新聞では多分、黙殺だろうが産経新聞では昨日、今日、明日と三回に分けて解説。木曜日に三人が関わりを執筆している。10年前、このブログでも取り上げた。

昭和45年07月07日に三島由紀夫が産経新聞にコメントを寄せた。50年前の予言のようなコメントは的を射ている。

『私はこれからの日本に大して希望をつなぐ事ができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にも、なれなくなっているのである』

中国・北朝鮮のような独裁国家、言いがかりをつけては日本から援助を欲しがる韓国、日本の領土を返さないロシア。これに的確に対応できない日本は、多分、三島の言う「国の大義」など為政者は考えたこともないのだろう。

45歳で上記の予言、三島由紀夫は天才だった。時々『金閣寺』を読み直しているが、完璧な名文で主題を浮き上がらせる比喩などは誰も真似できない。師匠にあたる川端康成は美文だった。

添付は多分三年後の「憂国忌」のパンフレット。

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