2020/12/16  23:17

高島屋  身辺些事
所属短歌会は、今年令和02年03月より月一度の例会が、コロナ禍で行われなくなった。毎年秋の10月の全国大会も中止。新型コロナは、日本はもとより世界各国で多分21世紀の最大の事件になろうとしている。一段落するのは来年以降で東京五輪も中止か再延期だろう。

例会が行われなくなったので、インターネットを扱うことのできる会員に限られるが(20人ほど)冬雷短歌会の「ネット歌会」で毎月2首を発表、参加者が鑑賞、批評・感想を書き込むことで例会としている。12月発表の私の歌は、以下2首。高島屋という固有名詞に多く感想が書き込まれ、「ゐし」は文法の誤りを指摘された。「購ひし」にしたい。固有名詞を詠うのはそれが効果的かどうか、ということになるが、高島屋というデパートが中央区日本橋にあるので「ここに暮らしたのではないか」と指摘された。この指摘は的を射ている。

 高島屋の風呂敷売場に求めゐし日の丸の国旗折り目の目立つ
 仏壇に四つの位牌並べゐて光華院≠フ実父に萩を先づ供ふ

昭和38年春より日本橋通り三丁目の小さな印刷所で4年間、住込み工員だった。ビートルズが来日した41年秋まで日本橋で暮した。東京駅八重洲口まで徒歩10分だが、当時は下町風情が残っていてこの周辺で暮している人も少なからず居た。日本橋交差点の角の昔の白木屋は東急デパートになり、今から20年前に高層の多目的ビルになった。高島屋は昔のままである。町名は「通り三丁目」が取れて単に「日本橋」。都営バスに「通り三丁目」が残る。

筆者が住込み工員だった印刷所は壊され5階建てのビルになっていたのを後年確認。日本橋の鰹節の老舗「にんべん」の地所だった。日本で最初の地下鉄が敷設された国道1号と日比谷通りに挟まれた横丁。新大橋通りでは地下鉄東西線の工事が進んでいた。印刷屋の小僧の仕事は自転車による印刷物の配達、築地、東銀座へ活字を買いに行く事だった。

二首目の仏壇は小生の家の仏壇。実父、母親、義父、義兄の順。萩は秋の彼岸の“お萩”のこと。極貧を味わされた義父は右端だ。添付は自宅の山茶花。

クリックすると元のサイズで表示します
1


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ