2021/2/1  20:37

1月号歌会  身辺些事
所属する短歌会の1月号のネット歌会が終った。小生は以下の2首。

 本能と蓄積の力をプレハブの壁に這ひゐる蔦に見てゐる
 戦争にも吾が人生にもあつた筈ポイントオブノーリターンの夫々ひとつ

選者3人、会員3人の鑑賞文が寄せられて感謝するばかりだ。ここに要約して感謝すると共に以後の詠嘆の参考にしたい。選者のみ抽出。

◇一欄担当選者。
一首目は壁に這う蔦の生態に「本能と蓄積の力」を感じている。蔦は自分の重さを自分で支えることは出来ず、他の植物に巻き付いたりすることによって無駄な力を使わないようにしている。─「本能」はもとから蔦が持っている生命の力。そして目立たない所で着々と準備し生きる力としているのを「蓄積」と作者は詠まれた。─壁に這う蔦を題材にした歌はたくさん見るが、これはやはり作者独自の視点があって面白いと思った。

─私の想像だが上句にある「戦争」では負けることがわかっていても、突き進むより道がなかった状況を言っている。人生においても後戻りできなかった事があっただろうと、作者は自らに問うかたちで歌っている。「夫々ひとつ」と言っているのでそのことは強く感じておられるのだろう。

◇2欄選者。
楽な環境ではないところに逞しく葉を広げている蔦に作者の感じたものは理解できるけれど全て言い尽くしてしまっているような感じがしますね。本能は、生まれつき持っている力だがそれだけじゃないと作者は思っている。それが蓄積なのでしょう、努力して蓄えた力がなくてはこんなに生き生きしている筈がない、ということなのかもしれませんね。その「本能と蓄積」が言葉でなく蔦の様子から感じ取れれば読者としては有難いですね。与えられた場所で黙って生きて逝く植物から教えられることって多いですね。私たちの生きてゆく力になるんですよね。

◇冬雷集、作品3欄選者。
一首目、これは作者の願望、あるいは目標のような思いが上の句には込められている。遠目に見ていると清々しく美しいのですが、近づいて観察すると非常に合理的に壁に吸い付いて固定されていて、その蔓の一つ一つも太くがっしりと荒々しささえ有ります。─蔓性の植物もいろいろで、その生きている場所によってそれぞれの特徴を見せます。─その生きる場に合わせて対応の歴史を積み重ね進化してきたのだと思います。その進化の歴史を作者は「蓄積」という自分の中の生活用語で歌った。─この「本能と蓄積」は作者だからこそ言えた言葉で、ここがこの歌の最も大事な所です。読者の中には、そんな風には思えない、とか、そんな言い方ではなくて、こういうべきだ、とか、そんなこと言わないで読者に感じ読み取らせよ、とか様々な反応が予想されます。

◇本人の挨拶・御礼
一階の居間から庭を見ると物置用のプレハブに蔦の勢いが判ります。晩秋には紅葉、毎年のことで蔦の本能を見ます。いつもだいたい同じ個所、プレハブは六畳間。ほんの小さな隙間から部屋のなかまで延びるのを見て蔦にも蓄積の力があるのかと思った次第。

言わずものがな、ポイントオブノーリターンは後戻りできない分岐点。太平洋戦争の場合は多くの人がナチスドイツとの「日独伊三国同盟」を指摘。

プライベートでは、義父が死に葬儀のあと実母の老後に話が及ぶと他に4人の義理の兄弟妹がいましたが、何れも世帯持ちで子も居て無言。幼少時より育てて貰った恩はないのかとの私の感想。当時、実子で独身の小生が実母と暮らす運命でした。ここで小生も小さな判断をしました。丁度「冬雷」の仕事が始まった昭和54年。母との暮し、亀戸の高層団地、冬雷の製版がセットとなって記憶している。翌年現職の大平総理大臣が急死。

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2021/2/23  23:42

投稿者:なりひら
湘南の暇人さん、@本能と蓄積の力をプレハブの壁に這ひ
ゐる蔦に見てゐる、A戦争にも吾が人生にもあつた筈ポイ
ントオブノリターンの夫々ひとつ・・しみじみ鑑賞させて
いただきました。個人自作歌集は作られた(作られる)ん
ですか?


https://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/

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