2021/2/18  23:53

哀悼 増田邦昭  身辺些事
前回、記述したように中学の同級生の死は、筆者の私にとってショックであり只々悲しいだけである。転居先不明だった私が、連絡が着いて平成25年の暮、総武線・新小岩の料理店の中学校の同窓会に初めて参加、確か19人の盛況だった。そこでこの友人と再会したことになる。これも彼のプロデュースだった。

小生自身は中学時代、墨田区横川橋4丁目の六畳一間のアパートに六人も居住して貧しい暮しだったが、精工舎の社宅に住んで居たのが増田邦昭という友人だった。53年ぶりだったがすぐ打ち解けた。筆者の私が短歌を嗜んでいて、この趣味を大いに認めてくれたから電話・ブログ・メールを通して、その後7年間濃密な交遊に発展した。

明けて平成26年から台東区根岸の子規庵(正岡子規、近代短歌の元祖と言われている)を訪問してから以後、小生に南房総を案内してくれ、木更津で塾を経営する知人に引き合わせてくれもした。その知人は戦病死した伯父の遺した手記を出版、その読解に小生も加わって作成した。

この同級生は7年間で同窓会の連絡を除いて30回弱、長文のメールで徒然日記を画像入りで送ってくれた。全て保存してある。哀悼の意を込めて10回ほどの記事を作成する。今回の添付は平成26年、同窓生の画家の展覧会見学時の上野精養軒での友人。以後10回は友人の添付してくれた画像を使用する。昨年2020年から遡るかたちで追悼する。実名を公したが黄泉の国へ旅立った友人、勘弁してくれる筈。

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