2021/3/8  15:29

畏友 追悼19 子規庵  身辺些事
短歌誌のカット画像の取材で平成26年07月27日、鶯谷の「子規庵」(近代俳句・短歌の創始者・正岡子規終焉の地)を訪問。この前後に同窓会があって畏友と連絡が密になった。2014年・平成26年、明けてすぐ浅草をメインに、錦糸中学校庭の裏側にある級友が営む喫茶店を訪問、そこから直ぐのスカイツリーを撮影、久し振りに浅草行きとなった。以下は小生の畏友へのメール

邦ちゃん元気。毎月第2日曜日は短歌会の例会。江東区豊洲行き。去年(平成25年)は07月10日、今年は11日に猛暑到来。小生腰椎圧迫骨折より遥か前から自律神経失調症。循環機能が衰え猛暑では脱力感が顕著。去年は3か月間30℃越えだった。東京行きは気分不良で早めに帰還。17日の台東区根岸の撮影は無報酬だが殆ど義務で小生の矜持となっている。体力旺盛なるさなえちゃんに疎まれるも良し。女性は10年後の未来に想像が及ばないらしい。家賃8万円の支払いが続くわけもないのに。(短歌会の会員・茶の湯の師匠に促され50代半ばの病院の清掃婦(外部委託の専門職)を紹介されていた。いわば70代を越えてからの見合である。)毎月15日締切の投稿歌やっと完成した。これから推敲して明日送付。夜は昨日録画した池上彰の番組を見て北朝鮮の研究。米ソ冷戦の産物。

畏友は70歳を超える小生の見合話を興味津津だった。結論として70歳の見合は不成立。年金とて少なく今更結婚などできない。間に入った茶の湯の師匠・歌人の面子を軽んずることは出来ず、一度東京駅地下の「銀の鈴」でお会いしたが、小生が杖突老人で当初から多分、先方にその気はなく、筆者の私が先方を忖度、丁寧な手紙で別離を言い、半ば自然消滅となった。

この年の秋にスマートフォンを購入、それまでいわゆるガラケーを使用、パソコンに文字を入力、これを自分のケータイに送付、そこから畏友のスマホなどに送信していた。『坂の上の雲』で注目された正岡子規は、台東区根岸の里が終焉の地。子規の≪柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺≫の俳句は、知られているが、この根岸で詠まれた短歌も一首、諳んじていた。

 隣にも豆腐の煮ゆる音すなり根岸の里の五月雨の頃

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