2021/4/29  20:21

ネット歌会4月  身辺些事
所属結社の「冬雷短歌会」はコロナ禍で昨年03月から東京・豊洲での例会を休んでいる。幸か不幸かネット社会なので「冬雷ネット歌会」を軌道に乗せている。毎月二首づつ投稿、鑑賞。以下は4月の投稿歌。

 父方の伯父は流行らぬ歯科医にて水銀中毒に死す昭和の時代
 歯科医院の門前にはらから集ひゐし父の出征の写真が残る

SМ氏
作者は今、己のルーツを確かめようとされて居る。戦争に獲られた父の顔を覚えては居ない年齢だろうし、僅かに残るセピア色の写真から情報を得るしか無いのだろうと察する。1首目の水銀中毒にギョッとした。あの水俣病の悲惨な映像が蘇って来たからだが、何故歯科医と関係があるのかと調べて見たら「アマルガム」と云う合金の存在を知る事が出来た。虫歯治療の詰め物として使用するものの様だ。成る程、歯科医と水銀中毒の関係をこの歌から学ぶ事ができた。歌として、結句の「昭和の時代」が大雑把な括りとなっているのが、少し残念だ。昭和の時代は長いので、もう少し限定して欲しかった。しかしこうして歌に残すことで作者の生きた証は確実に残されてゆくものと信じる。

ТA氏
一首目、二首目、何故「流行らぬ歯科医にて」と断定するか、疑問に思った。「父の出征」時にはらからが集まり、集合写真を撮るくらいだから親族の中心であり、昭和の時代には数少ない歯医者として流行っていたのではないか。本誌1首目の「手の震えの媼」と水銀中毒を関係ありと読んでみたが、手の震えは有機水銀でアマルガムは違うと知った。しかしながら何かがあると、はらから(同族)が集まる昭和の良き時代を、一面詠った歌だと思う。

NS氏
歯科医だった伯父上を追想されている。歯の治療にアマルガムの詰め物が使われるのが普通の時代、医師である伯父上自身もそのために罹患されたのかも知れません。医院は必ずしも繁盛されたとはいえなかったようでそれを「流行らぬ」とユーモアを含んだ表現をされたことで伯父上の人柄まで想像されます。

МH氏
戦時中は実質のない形ばかりの悲しい栄誉だったのでしょうが、出征する方を万歳!と言いながら見送ったとよく聞きます。この兄弟が集まって出世をする父を見送っている写真には、当時の建前や隠された悲しみの気持ちなど、色々なことは思われ、写真を見ながら当時に思いを馳せる作者が浮かびます。

以下は小生の解説と謝礼文
いつも暗い回想歌を鑑賞していただき感謝です。
SМ氏の言うようにきちんと表現すべきでした。成人してからこの伯父に会ったのは一回。亡くなったのは昭和44年?45年?と聞いています。「大阪万博の頃」とすべきでした。小学校入学の頃、母が再婚の挨拶のときにこの伯父を訪ねました。街中でも水道のない時代、井戸水をやかんに汲んでいて、歯の治療あとは、これをコップに注いで口をすすぐ戦後すぐの時代。この実家の嫁は今、生存。リウマチで財布の小銭もつかめない症状。先頃、独居に限度が来て、ヘルパーに付き添われ老人施設へ入所。

伯父に好意的な鑑賞、感謝です。ですが年、数回開催される「平塚競輪」が趣味だったそうで開催されると患者を断ってまでもギャンブル狂い。困った歯医者でした。そのDNAか、小生は“競馬”好き。ですが人間が走る競輪は信用できません。この実家の嫁は息子二人もすでに病死で老人施設入所。伯父の甥の小生は独身。「櫻井歯科医院」は、事実上昭和の時代に断絶!?です。

添付はその出征時の記念写真。作者の私は母親のお腹

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