2021/5/30  20:15

有難い大先輩  身辺些事
 所属短歌会のМK氏は大阪在住。米寿に近い年齢のように聞く。冬雷短歌会には平成時代になって入会されたが、既に大手の「歩道短歌会」で活躍されていたらしい。歩道と言えば斎藤茂吉の弟子・佐藤佐太郎という芸術院会員だった歌人が主宰。氏の完成された短歌から見ればいつまでも抒情性の無い小生の下手くそな短歌だが温かく見守ってくれている。過去の回想のそれも戦争の歌は、いかがなものかと思う人が多いだろう。小生とほぼ同齢の女性は、短歌は“悲しみ”を表現するもの、村上一郎など高名な歌人は“怒り”を籠めるものとする。毎月9首の投稿の末に2首ほどいわゆる社会詠を投稿する。それが太平洋戦争と実父回想の歌。父の戦死を年中詠むのも聊か女々しい趣きもある。以下はМK氏の「冬雷集批評」に12行を割いて鑑賞してくれた。以下は4月号の摂歌。

 歯科医院の門前にはらから集ひゐし父の出征の写真が残る
 
 SМ兄(小生のこと)健筆で記述されるブログを折々に拝見するが、此処に父上出征時の写真が掲示された。血縁のはらから一同が今、戦陣に征く父上と身重の和服姿の母上が写っている。私はこの写真の父上母上の面輪を眺め思わず涙が零れた。何の感激感情も見えず、唯々侘しさと虚しさの面持ちとお見受けした。離別の心情は計り知れない。戦争を罪悪とし反戦論を執筆続けるSМ兄の心象は尊い。
 
 改めて内容とはうらはらに、かようにそれこそはらから(同胞)であるかの如く感想をいただくと有り難く筆者の私も滂沱の涙だ。МK氏はいま。緑内障の治療に専念しておられ冬雷のネット短歌会も休養されている。

 いま個人的な戦争論を「天邪鬼の探索考戦争の昭和史」をインターネット上に、なかなか終わらないが綴っている。能力不足と怠惰な姿勢のなせる業だがこれも簡単にいえば運命だ。あらためてМK氏の指摘で稚拙な論考の原点に戻ることができた。それが出征の儀式の画像。МK氏は両親の面輪に侘しさと虚しさを読み取られた。この出征の儀式後のたった二年後に戦病死している。

 よく考えればこの出征の画像が小生の原点。突き詰めて言えば、昭和18年10月召集、19年12月発病、20年11月に戦病死。お国のために戦闘機を造る企業に勤務する社員が徴兵され、二年の後、戦病死した。「戦争は残虐だからしてはならない」は平凡な平和論、「戦争の出来る国では無かった」は現実を認識してやや前進。「戦争とは何かを知らなかった」のが今の小生の結論。

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