2010/8/24  20:42

三橋美智也  昭和史
連想ゲームのようだが「思い出のメロディー」から思い出をひとつ。平成08年01月、演歌歌手・三橋美智也が死んだ。糖尿病による多臓器不全で64歳だった。今生きていればまだ80歳にもならない。年上の青木光一や三浦洸一も頑張っている。

真面目な性格ゆえに地方興行などでは、接待を断り切れずに毎日宴会の連続で酒量が倍増したとは、専属の司会だった玉置宏の弁。その玉置ももう居ない。演歌「三人の会」の春日八郎も村田英雄も糖尿病だった。売れた演歌歌手には酒がつきものだったということである。

筆者の中学生時代は昭和32年〜34年、「明星」「平凡」など芸能雑誌があって、むろん横文字やポップスの歌など無い時代だから、人気歌手ベストテンは皆、演歌歌手だった。筆者の記憶にあるのは昭和33年ころか。のちに神戸一郎、水原弘などが出てくる。

01位 三橋美智也
02位 春日八郎
03位 三波春夫
04位 フランク永井
05位 三浦洸一
06位 藤島桓夫
07位 白根一男
08位 若原一郎
09位 三船浩
10位 青木光一

01位 美空ひばり
02位 島倉千代子
03位 江利チエミ
04位 雪村いづみ
05位 奈良光枝
06位 松山恵子
07位 野村雪子
08位 ペギー葉山
09位 藤本二三代
10位 神楽坂浮子 

といった記憶がある。この頃はレコードはモノラル。ステレオは昭和38年からである。私が三橋美智也を好きだったのは、むろん民謡で鍛えた天性の哀愁を帯びた高音の魅力だった。歌手はいいな、と思うのは今でも再録音されたステレオ演奏でその声がいつでも聞けることである。筆者は三橋の「荒城の月」を所持しているが、これは絶品である。これを聞いたディレクターが高橋掬太郎・細川潤一で作ったのが名曲『古城』である。

三橋美智也の死にざまは自業自得である。酒で声をつぶし、祇園の女遊びが祟って2度離婚し、名義貸しした熱海のホテルは倒産。借財を背負った。奔放でだらしがないと言われればそれまでのこと。筆者が別の見方をするのはその学歴である。中学卒業後、三味線と共に旅回りの民謡歌手だった。これではいけないと思い、三味線一本を持ち、19歳で上京、紹介されて横浜の綱島温泉のボイラーマンとなり、客に民謡も教えることになった。教えた弟子がNHKのど自慢で優勝。キングレコードで録音という快挙になった。ところがこの弟子があがってしまい、録音にならない。三味線伴奏の付き人だった三橋が歌ってみせ、キングでは、この伴奏者の方がいいと契約に及んだらしい。人生どこに転機点があるか分からない。

歌手デビューしても3年間は売れなかった。ドサ回りの人生だった三橋は、勉強を重んじ21歳で「明大中野高校」に入学。何と24歳で高校を卒業している。大学入試も目指して猛勉強したが、皮肉なことに「おんな船頭歌」などにより、ヒット曲を連発。大学どころではなくなったと言う。

どんな死にざまでも三橋美智也の「レコード売り上げ1億600万枚」の数字は、未だに破られていない。お酒を減らし、事業などせず、民謡三橋流の家元に徹していれば「国民栄誉賞」は間違いがなかったとは、猛烈なファンだった立川談志の弁。

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2010/8/25  0:07

投稿者:湘南の暇人
酒もたばこもやらず、むろん女性も女房だけ、という品行方正を絵に描いたような三波春夫は、演歌三人の会とは一線を画していました。
しかし三波は糖尿病には関係なかったのですが、こちらは癌で死にました。
この頃、第二線の歌手だった三浦洸一や青木光一は、節制と訓練が利いていますね。長く歌って欲しいです。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/

2010/8/24  23:09

投稿者:なりひら
三橋美智也さんのエピソードは存じませんでした。演歌歌手として油ののりきっていた頃の声は、実によく伸びていました。最後は、酒と女・・お定まりのパターンだったのですね。

http://happy.ap.teacup.com/applet/ibaraki-doji/msgcate2/archive

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