2011/6/17  23:31

総理大臣を辞退した人  政治
「東北大震災」が三カ月経過しても東北は「ガレキの山」の除去さえまだ15パーセントで一向に解決しない。強力な指揮を執らねばならぬ菅直人総理大臣自身が「ガレキ」と呼ばれる所以。総理大臣をいかにも止める素振りで実は、権力にしがみつく菅直人には、もう新聞も書く材料が無くなったようだ。ひとこと総理大臣に味方すれば、この一年間、何も実績がないので後世には評価されないこと。有力な後継者の小沢一郎が検察審査会であるにせよ、起訴されているからである。しかしこれが無罪になったらマスコミはどう報道するのか。現財務大臣・野田佳彦、前前財務大臣・与謝野馨は、財務省の回し物で増税路線一直線である。

筆者は湘南の政治評論家を自認するが、戦後、請われても総理大臣を断った政治家を二人知っている。伊東正義・小沢一郎である。

伊東正義は、福島県出身の自民党代議士、平成06年に80歳で亡くなっている。生前は、外務大臣・内閣総理大臣臨時代理・内閣官房長官を歴任。68代内閣総理大臣・大平正芳は戦前からの無二の親友だった。名前が同じ発音のマサヨシだったからだけではないだろう。昭和55年、衆議院議員選挙のとき、大平が急逝した後に伊東が、内閣総理大臣臨時代理に就任する。サミットには外務大臣・大来佐武郎が出席。後継総理の最有力だったが固辞。同じ宏池会の幹部で総務会長だった鈴木善幸が「棚からボタモチ」となる。伊東は、平成元年の「リクルート事件」による竹下登首相退陣後、後継総裁に推される。伊東以外の総裁候補の多くがリクルート事件に関与していた。ここでも伊東は総理大臣を固辞。本人は健康問題を言ったが、権力などは無頓着だったのだろう。大物政治家ではありながら金権政治とは一切無縁だった。伊東の自宅はバブルの頃でさえ雨漏りするほど生活は質素だったらしい。

小沢一郎は、昭和17年生まれ、現在69歳。今は強制起訴されて裁判闘争中である。二世代議士で父は吉田茂の子分、小沢佐重喜。自民党・田中派に所属。早世した田中角栄の長男と同年齢だったので可愛がられた。昭和58年の京都府第二区(中選挙区)の2人欠員による衆院補選で、執行部の1人擁立の意見を強引に押し切り、谷垣禎一と野中広務の2人を擁立し、絶妙な票割で両者とも当選させた。このことが党内各派の有力者に評価され「選挙の小沢」と呼ばれるきっかけとなる。「第一次海部俊樹内閣」では金丸の推薦により47歳の若さで党幹事長に就任。リクルート事件後の総選挙で苦戦が予想されたが第39回衆院選に経団連傘下の企業から選挙資金300億円を集めて勝利。首相である海部をしのぐ実力者となる。平成03年、首相の海部が解散総選挙を主張したが、党内の反発を招き、海部は首相辞任に追い込まれる。金丸信は後継総理に小沢一郎を命じ、同じ当選回数の渡部恒三も小沢を説得したが、当時49歳の年齢と心臓病を理由にこれを固辞した。

画像はツツジ展。

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2011/6/22  0:13

投稿者:湘南の暇人
戦前から官僚としてお互いに認め合っていたのだと思います。
福田赳夫前総理が二年で総理を禅譲する密約を守らなかったために、大平の背後にいる闇将軍・田中角栄が怒って、田中系の議員の秘書を総動員、総裁の座をもぎ取ったようです。
伊東正義氏は、その裏の凄まじい戦いを知っていたのでしょう。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/

2011/6/18  16:53

投稿者:なりひら
伊東正義さん:辞退されたこと覚えています。名前が「正義」、文字どおり、不正には一切手を染めず、清貧の人だったのですね。今は、そういう政治家はもういないですね。

http://happy.ap.teacup.com/applet/ibaraki-doji/msgcate2/archive

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