2011/8/6  21:06

昭和16年  昭和史
今年は2011年、昭和だと86年、70年前の昭和16年12月08日、米国ハワイ真珠湾を日本海軍が攻撃して日米の戦争が始まった。今思えば、随分馬鹿なことをしたと云うのはたやすい。どのメディアも何らかの検証をしているだろうが購読する“産経新聞”では月に一度「日米開戦70年目の検証」を掲載している。02月から07回目、今月は、本日06日「あと4カ月」のサブタイトルがある。

昭和16年07月26日、帝国陸軍は“南部仏印(当時のフランス領インドシナ、ビルマ・ラオス付近)”に進駐。08月01日にアメリカから「石油禁輸」の措置を受ける。当時海軍の艦船には必須の石油はアメリカから90パーセントを輸入していた。日本軍部はフランス領なら構わないだろうぐらいの安易な計算だった。前年の「日独伊三国同盟」締結で、もうとっくにポイント・オブ・ノーリターン(歴史的引き返し不能分岐点)を過ぎていたが、この事実が決定的な日米開戦に繋がる。今では解っている事実だが、アメリカは、日本の外務省・軍部の情報などは「マジック」と言われて、暗号は解読され、日本の作戦は筒抜けだった。「それは駄目ですよ」というシグナルも無かったようなので、アメリカは日米開戦を望んでいたことが明らかである。

筆者は、個人的に『戦争の昭和史』を何度も書き直している。平成20年に「@帝国陸・海軍は何をしたのか」で、昭和19年の「インパール作戦」、平成21年に「A帝国陸・海軍とは何だったのか」で「東條英機の人間関係」を推敲して以来、第三章の「日米間対立」「日米交渉決裂」に関わる参考書を二年間かけて読みなおした。「日独伊三国同盟」を推進した当時の「松岡洋右外務大臣」がいちばん悪い政治家と安易に思っていたが、真相はやや軌道修正を余儀なくされている。今では政治家で誰がいちばん悪かったと云えば、内大臣・木戸幸一であり、メディアでは徳富蘇峰、陸軍では杉山元、海軍では永野修身である。東條英機は、今も昔も変わらない、総理大臣は「軽くてパア」が良かったのである。木戸幸一は、近衛文麿に責任を転嫁、昭和52年まで生き、徳富蘇峰に至っては江戸時代末期の生まれで昭和31年まで生きた。

そして「日米開戦」を何よりも望んだのは真相を何も知らされなかった国民・世論だった。つまり朝日・毎日新聞には大いなる責任が存在していたことは間違いない。その証拠に、太平洋・大東亜戦争の主要な画像は、そのほとんどが朝日・毎日新聞に著作権?を有することにある。

画像は昭和16年04月13日(日)の「日ソ中立条約」調印式。サインするのは松岡洋右。右はヨシフ・スターリン。この時、ヒトラーが既に「独ソ開戦」を決意していたが、二人ともその情報を無視していた。講談社『日録20世紀1941』より。

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2011/8/9  12:43

投稿者:湘南の暇人
引き返し不能地点を判断できなかったのは、様々な要因がが考えられます。あえて一言で言えば「日本の為政者、軍人、マスコミ、国民」全部が内向き志向で、諸外国の趨勢を考えなかったことです。
これは今も昔も変わらないようです。個人的には元凶は帝国陸軍がトップです。なにしろアドルフ・ヒトラーが好きだったようです。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/

2011/8/9  5:39

投稿者:なりひら
マスコミが戦争への深入りを誘導していたこと、それと総理大臣はパーがいい、の2点が印象に残りました。
今でもマスコミは暗躍しています。サンケイ、読売が「菅嫌い」なのは分かりますが、「朝日が東電から多額の広告収入を得て、のど仏を抑えれている」との週刊誌記事には驚きました。今もマスコミというのは、建前と本音が違うらしいです。パーの総理が延命を画策していることも日本の不幸。
元の話に戻ると、日本が「引き返し不可能地点」まで来てしまった元凶は誰(複数)なんでしょうか?

http://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/

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