2011/8/28  21:20

日米開戦への道・余話01  昭和史
『戦争を鼓舞した四字熟語』

昭和16年12月08日、大日本帝国海軍がアメリカ「ハワイ真珠湾」を攻撃して太平洋・大東亜戦争が始まったのはあまりにも有名なのだが、ことの是非はともかく「東京日日新聞」(現在・毎日新聞)が、その日の朝刊でこのことをスクープしたのはあまり知られていない。どうしてスクープできたのか涙ぐましい努力があったが、その詳細はここでは省く。ニュースソースは日米開戦反対の海軍関係者だった。とにかくずばり“日米戦争への突入”とは書けないので、見出しが四字熟語の羅列となった。国民は素直に「欣喜雀躍」したのである。

 東亜撹乱・断固駆逐・一億憤激・邁進一路・聖業完遂

新聞メディアは、連日「見出し」には「四字熟語」が躍った。

 尽忠報国・挙国一致・神州不滅・鬼畜米英・勇戦力闘・無敵皇軍
 一億玉砕・忠君愛国・滅私奉公・堅忍持久・忠勇無双・八紘一宇

筆者がここで言いたいことは、極めて単純である。戦争に勝つということは戦闘行為だけではない。そこに怜悧な戦略や政略があってはじめて戦争に訴えるということだ。あくまで戦争とは国家の政治的行為なにものでもない。戦いを挑んで負けるのが判っているのなら何故、他の方法・他の政治決断がなされなかったのか。戦争とは感情論・精神論・運命論ではなく数字・物理・科学の世界である。敢えて「開戦」を容認するなら「敗戦」が確実になって、国民に多数の犠牲者が日に日に増大する現状に、政治家も外交官も無論軍人もなぜ沈着冷静な戦略・判断・決断が出来なかったのか。戦いの最前線は、日露戦争以来の基本的には「白兵」という三八式歩兵銃・一振りの軍刀・手榴弾だけの「肉弾攻撃」から一歩も出なかった。精神論だけで勝てる戦争など古今東西ありはしない。太平洋・大東亜戦争の戦死者310万人(あくまで公式数字)の90パーセントは昭和20年の敗戦の半年間である。

軍部を批判した代議士として当時民政党の「斎藤隆夫」の名を知ってはいた。いろいろな著書も多いそうだし、その気骨を称える昭和史の書も多いし、NHKの「その時歴史が動いた」でも紹介された。昭和11年「二・二六事件」後の廣田弘毅内閣での「粛軍演説」、昭和15年の米内光政内閣での「反軍演説」はあまりにも有名である。むろん当時は完璧な「非国民」である。圧倒的多数で昭和15年03月除名処分になる。詳しくは知らないが、多分戦争中は「特別高等警察」に終始監視されていたに違いない。一代議士で国をリードする政治家や軍人ではないので、テロや暗殺を免れたのかも知れない。それが勲章となったのか戦後は「第一次吉田茂内閣」の国務大臣となる。今では出身地の兵庫県出石町(現・豊岡市)に記念館がある。この斎藤隆夫が昭和19年に著した論に「天佑神助論」があった。今でも切実に感じることが既に昭和19年に著されていたのである。日本列島戦時一色だが、思ってはいても口にできないのが当時の世相。「天佑神助」なる熟語が、日本の戦争観をよく著わしている。戦争最前線に神様はそうはたやすくやってはこない。天佑神助があれば310万人の戦死者の70パーセントが餓死・病死とはならない。

昭和15年2月2日 第75帝国議会の演説「泥沼の支那事変をどう処理するか」
この演説以降斎藤隆夫は圧倒的多数の議決で除名される。この演説の削除された部分がこの書に抄録されている。そこに天佑神助の表現は無い。インターネットの『斎藤隆夫関連』に斎藤の演説・論・遺稿などが掲載されている。「自由に使用してよい」との但し書きがあるので「天佑神助論」をここに取り上げさせていただく。

『戦争が始まってから度々天佑神助と云う語を耳にする。是が学問もない理屈も分らない人々の口から出るならば別に怪しむには足らないが、実際には左様ではなくして随分学問もあり世間からは知誠階級と見らるる人々の口からも出る。殊に是が軍人仲間に多きように思わるるのは一層不思議である。近頃出征軍人が或る大将に日の丸の旗に揮毫を求めると、其の大将は毎度「天佑神助」と大書することに決めて居るが、余は此の有様を見て実は是等の人々の頭を疑って居るのである。天佑神助とは如何なることであるかと言えば、詰り此の世の中に天とか神とか云うものがあって、特に我が日本を援助すると云うことであろうが、今日左様なることが夢にも想像し得べきことであるかないかは考えるまでもないことである。一体天とは何であり神とは何であるか、由来宗教家や何にかは此の世の中の森羅万象がさっぱり分らぬものであるから、是等は天とか神とか名づくる者が作ったものと決めて居るが、我々には左様なる人々の相手にはなる訳には行かない。我々は分らないことは分らないと決めて居るが、分って居る限りに於て天とか神とか云うものを認める訳には行かない。…』

◆斎藤隆夫反軍演説『昭和史探索5』 半藤一利編 ちくま文庫P31

画像は、昭和15年11月・皇紀2600年式典。「日録20世紀・1940」講談社刊

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