2011/9/12  17:57

日米開戦がなぜ避けられなかったのか  昭和史
今、ポイント・オブ・ノーリターンを「日独伊三国同盟」に於いて、これに関わる政治家・軍人・事項を叙述している。だがHPで御厚誼頂いている方から、

≪「日独伊三国同盟」や「日米開戦の真実」も重要だと思いますが「日米開戦がなぜ避けられなかったのか」が最大の疑問です。≫

という極めてシンプルな設問があった。筆者は「ポイント・オブ・ノーリターン」そのものが“日米避戦”の真実を語っているのだと思う。だが、そこに関わる軍人・政治家を説明しようとするとどうしても数行で済ませられない内容に満ち満ちているので、自分では解っていることだが、いささか長文になってしまい昭和史の読書で知ったエピソードも増える。まだ4項目だが、ここで中間報告として「日米開戦がなぜ避けられなかったのか」の昭和史から外せない重大な責任者をここで一足先に要約してみたい。

@松岡洋右
最盛時には百万人を超える軍部を抑えることは、一外交官にできるわけは無いのを熟知していた松岡は、ソ連のスターリン、アメリカのルーズヴェルトの世界の二大巨頭と話し合いで決着しようとした。英語はペラペラだが、むろん松岡にそんな力は無い。昭和16年にはすでに肺を病んでいた。通常の外交ルートはすでに破綻していたと云うべき。
A近衛文麿
天皇の次に偉い自分が総理大臣なら誰でも言うことを聞く」と簡単に思っていたようだ。しかしその頃の強大な軍部の力は、もうすでに天皇でさえ抑えきれなくなっていた。軍部は近衛を御しやすいから近衛内閣を支持していたようにも解釈できる。近衛文麿は「日米開戦」の重要な責任者に違いないが、筆者はその権威を利用した陸・海軍の上層部に実質的な責任があるものと思っている。自分が利用されている自覚がないのがこの人物の最大の欠点である。
B“統帥権”
大日本帝国憲法では「統治権」も「統帥権」も天皇にあった。しかし実際には天皇から付与された輔弼(内閣)と輔翼(作戦部門)が最大の責任者である。とくに軍部当事者は自分たちの組織の存続ゆえに天皇の「日米非戦」の考えを折々の上奏で誤魔化して無視した。陰で“「秩父宮」も居るのだよ”とのブラフもあったようにも思う。統帥権については「日米開戦への道3」で詳説した。
C大島浩
“ドイツ大好き”軍人の典型で、アドルフ・ヒトラーに心酔。誤った情報を最後まで軍部に送り続けた。戦後は少し反省?したようである。アメリカの大嫌いなナチス信奉者で責任は重かったが、結果として東京裁判では“5対6”で辛うじて絞首刑を免れる。蟄居してもドイツ語の書籍が手放せなかった。
D東條英機
いつの世も「総理大臣は軽くてパアがいい」の典型。大日本帝国陸軍のことは周囲が重箱の隅も突つけないほど熟知していた。憲兵隊を掌握していたので関東軍や陸軍中枢部にコミンテルンの侵入を察知していたようで、最後まで中国大陸からの撤退を決断出来なかった。陸軍のことのみで、世界情勢や世界条約など知らなかったことが東京裁判で明らかになり連合国を呆れさせた。その清廉潔白な私生活に、アメリカの「戦略爆撃調査団」も大いに驚いた。
E嶋田繁太郎
日米開戦時の海軍大臣である。この海軍軍人も信念はあやふやで、当時の軍令部総長「伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやすおう)のドイツ好きを阻止できなかった。伏見宮は日露戦争にも従軍している。嶋田も東京裁判では“5対6”で絞首刑を免れる。あまり知られていないが日米開戦の実質GOサインは海軍である。
F参謀本部&軍令部
外務大臣や総理大臣でさえ口出し出来ない「統帥権」の源、昭和12年からは≪大本営≫と呼ばれた。昭和12年に出来た「大本営政府連絡会議」で決定された事項には、憲法上、天皇にも拒否権は無かった。
G朝日新聞&毎日新聞
大正デモクラシーから昭和初期は、メディアはリベラルだった。軍人が制服で町も歩けず、嫁の来てもなかったほど“軍人は嫌われた”経緯がある。それが一変したのは「満州事変」である。事変勃発をラジオ放送に出し抜かれた新聞は慌てた。詳説は省くが新聞は満州事変の号外に次ぐ号外で、びっくりするほど部数を伸ばした。メディアや産業は、戦争は確実に儲かるのである。これは今も変わらないのではないか。
H木戸幸一
筆者は「日米開戦」に関わる人物で最も罪の重いのは、昭和天皇への確実な情報を意図的に取捨したこの「内大臣」だと思う。昭和16年10月、陸軍を抑えきれず近衛文麿が総辞職したとき、間髪をいれず東條英機を指名した。実はこれは昭和天皇の希望だったと云われて久しいが、多分それも木戸の作り話だと思う。木戸自身は日米開戦はもう避けられないのを熟知していた。陸・海軍中枢部は、これも詳説は省くが“やる気マンマン”だった。開戦を避けられないとみた木戸は、責任は全部、軍部に押し付けるつもりだったようである。「木戸幸一」の項目で仔細に叙述したいが、木戸が終始恐れていたのは、自分への暗殺・テロである。木戸も東京裁判で“5対6”で絞首刑を免れる。日米開戦の責任をすべて親友である筈の近衛文麿に押し付けた。
I昭和天皇
昭和天皇に「戦争責任」があったかどうか、これも永遠のテーマである。「あったか、無かったか」で単純に問われれば、それはあったと云うべきである。だがその「戦争責任」とは何か、と云う設問がすでに曖昧模糊としている。開戦責任・継続責任・遅い終戦決断・国民を苦しめた責任・道義的責任といろいろある。今では100%有り得ないと解るが、日米戦争に勝ったら責任はあるのかないのか?「太平洋・大東亜戦争の全面的責任は昭和天皇にある」と声高に言う人は、昭和史を知らないのと同義語だと思う。

この項目「日米開戦がなぜ避けられなかったのか」の結論は、
@メディア・国民世論の日米開戦支持
A陸・海軍中枢部(佐官クラス)の開戦画策
B陸・海軍上層部の責任回避
C木戸幸一における昭和天皇への決断封じ
D外務省の不作為

によって日米開戦は避けられなかった、と筆者は今のところ思う次第。「日米避戦」の“歴史のif”は確実に存在した。それを今後、明らかにしたい。

しなくてもよかった戦争」ということが確実に云えそうである。

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