2011/10/21  22:03

捕虜虐待02  昭和史
イギリス在住のM・昭子さんから日本の二人の学者の評判を訊かれたのは10月11日、三日後に返事を出した。無事にメールは届いたか、どうか。昭子氏の活動の骨子は、次の通り。

≪私はイギリスにおいて、どれだけ日本や日本人が苦労したかの状況を多くの人々に伝える努力をしている。2009年にはBBC4ラジオの生番組で戦争議論討論に出場。また先々週から民営の歴史テレビ番組“Yesterday”と言う戦争番組のシリーズ後半にインタビューされているので、これにも出場。また各地での戦争体験者やその家族との接触も行っているので、お互いの国や兵士達がどれだけビルマの戦場で苦労し、餓死したり病死したり、した事など共通の痛みを分かち合えるような会話を続けている。現在は、三つのプロジェクトを同時進行、その内の一つに印度北部ビルマ国境付近に位置するサンジャックという激戦地に置いて、400数名の日本兵が戦死していて、その英霊の為の慰霊塔を建立する為の協力を行っている。委細は略すが、基本的理念は相互理解にあり、互角でしかも平等の立場で異文化・異なる宗教伝統を理解しながら、話し合い、戦争を語り継ぐ仕事を続けている。≫

過去の日本の戦争について日本の立場からの発言は、イギリス在住30年、貿易商の仕事もありながら安易にイギリス人の味方することがなく立派としか云う他はない。それにつけても日本の学者が最初から「日本の落ち度」ありきでは話にならない。前回も記述したが日本軍は『戦陣訓』で「生きて虜囚の辱めを受けず」が昭和16年、東條英機より示達されている。帝国軍人は捕虜にならないとするあまり捕虜の扱いを殆ど知らなかったと言っていいのではないか。何しろ自分達の兵器、糧秣、衛生状態が最悪なのに、捕虜の待遇に心情はともかくとして物理的には不可能だったに違いない。筆者はその後「ビルマ戦線」「泰緬鉄道」「イギリス植民地」「イギリス連邦」など検索、蔵書などで調べてみた。ここではその詳細は長くなるので割愛する。ひとこと云えば「木を見て森を見ず」で「イギリス人への捕虜虐待」など森の一本の木の枝葉の話である。やはり大英帝国・ブリテンの矜持なのだろうか。どの著書の叙述か忘れたが、英米ともに最初から「英米が勝つ」と確信していた由。数字・物理・科学をもって計算すれば当然であろう。

少々の捕虜虐待が未だに叫ばれているなら、大英帝国のインドをはじめ、東南アジア・アフリカでの植民地の歴史と実態はどう認識しているのだろうか、知りたいものである。インド独立運動家チャンドラ・ボース、ボースが師と仰いだマハトマ・ガンジーは肝腎のイギリスではどう評価されているのか。話は跳ぶが、世界の国々では「英連邦」は53ヶ国、「英連邦王国」は16ヶ国が加盟している。オーストラリア、ニュージーランドは解るがサミットに参加する大国「カナダ」までもが国王・元首はエリザベス女王である。

だいぶ昔読んだ記憶があるが著書が見当たらない、当時は青い表紙の中公新書だった。中公文庫で版を重ねているので、会田雄次氏の『アーロン収容所』を再購入して読んだ。会田氏はビルマで捕虜になり昭和22年帰国、京都大学教授で評論家だった。『日本人の意識構造』という優れた著書もあり、これはベストセラーになった。会田氏は平成09年、81歳で鬼籍に入られた。『アーロン収容所』では会田氏の詳細な観察が綴られている。むろん日本人捕虜へのイギリス兵の虐待の事実である。次回この著書から重要な点を列挙してこの「捕虜虐待」の項を終わりたい。英米との風土の相違は歴然としている。

添付はインターネットで入手したイギリスの植民地だったところ。一番右側が日付変更線であって、この世界地図が筆者はいちばん正しいと思っている。まさに日本は極東の辺境の島国である。昔も今も、こうした世界地図を為政者が真摯に俯瞰すれば、全世界を相手に戦争など起こせなかった筈である。

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