2011/12/13  21:17

哀悼・長谷氏  パソコン
平成16年、筆者がホームページを立ち上げた直後だったと思う。いわゆるネットサーフィンで「短歌」→「コスモス短歌会」→「梧桐学の短歌・ものぐさ」→「少数派・長谷のHP」と辿った。その長谷(ながたに)さんのリンクから現在、HARUKOさん、ヒロチャン、信州のみかんちゃん、関西の上田さんと交友が始まった。殊に「梧桐」さんのHPのアクセスは20万回を超える。

その長谷さんが逝去された。自宅で眠るように逝かれたと云う。昭和58年からの人工透析28年を頑張られた。謹んで哀悼の意を表する次第。長谷さんがどのような仕事をされたのかは知らないが、住んで居られるところは多分、文京区播磨坂だった。播磨坂は桜の名所で毎年、満開の桜を掲示板に投稿頂いた。長谷さんは昭和06年の生まれ、今年03月、満80歳だった。ブラームスなどクラシックを愛し、水彩画を描き、お茶の水・神田神保町などをこよなく愛された。いわゆる軍国少年を余儀なくされた世代である。あの愚かな大日本帝国の戦争の時代、官民挙げて子供にも「お国のため」の教育を施され、敗戦で即さあ民主主義では、長谷氏でなくても戸惑い、怒り、国家を不信に思うのは理の当然である。お兄さんを大日本帝国陸軍・最大の愚かな作戦「インパール作戦」で亡くされている。

車椅子を余儀なくされても運転することを筆者は勧めた。筆者の勤務した会社の社長は大正03年生まれ98歳で存命、95歳まで運転していたからである。無邪気に運転をお勧めしたからか『少数派』なる歌集を頂いてしまった。筆者の所属する短歌会は、創立50年、記念のアンソロジーを発行した。400頁になんなんとする文庫本で11月下旬の発行である。長谷さんは12月初頭亡くなられ、寄贈するにはほんの少し間に合わなかったことになる。

『少数派』より五首抄出して交友の感謝をささげたい。

 華やかさ何ひとつなき生なれど墓標の如き歌集一冊
 反戦の語彙錆び付きて詩となさず地下水脈の暗き透明
 少数派なれば擬態を肯ひて紫陽花いろの雨に濡れゆく
 単純に戦果喜びゐしときは南京大虐殺を知らざりしなり
 六輔も昭如、昭一饒舌に健さんと我、寡黙なりにき


 筆者註・(永)六輔、(野坂)昭如、(小沢)昭一、(高倉)健

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2011/12/29  23:13

投稿者:湘南の暇人
どういう仕事をされていたのか解らないですが、教養のある方なので教員などでなかったのかと思います。
完全に反戦主義者でした。人工透析28年は頭が下がるのみです。良い人をネットで見つけたことになります。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/

2011/12/29  0:04

投稿者:なりひら
長谷十一さんのお話読ませていただきました。魅力的な方ですね。「華やかさ何ひとつなき生なれど墓標の如き歌集一冊」・・実に心に沁み入る歌です。

http://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/

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