2012/9/21  21:06

吉田矢健治  昭和史
昭和30年代に少年時代を過ごした者でなければ、それも演歌が好きでなければ判らない人物の名が“吉田矢健治(よしだやけんじ)”である。1923年・大正12年10月生─1998年・平成10年11月死去、昭和期の歌謡曲の作曲家、山口県岩国市出身、明治大学卒業。春日八郎・三橋美智也のヒット曲を作曲したキングレコード専属の作曲家だった。

◇津村謙・吉岡妙子『あなたと共に』(昭和29年)矢野亮作詞。
◇春日八郎『別れの燈台』(昭和33年)高橋掬太郎作詞、『山の吊橋』(昭和34年)横井弘作詞、『足摺岬』(昭和34年)高橋掬太郎作詞。
◇三橋美智也『夕焼けとんび』(昭和33年)矢野亮作詞、『ギター鴎』(昭和33年)矢野亮作詞。
◇バーブ佐竹『女心の唄』(昭和40年)山北由希夫作詞。

司馬遼太郎ファンで小説はもとよりエッセイもくまなく読み込んでいる人なら聞いたことがあるに違いない。ここでは吉田矢健治の人となりは割愛する。

司馬遼太郎ファンなら誰もが知っているベストセラーは『龍馬が行く』『坂の上の雲』である。解説するまでもないが、後者は近代史実のウェイトが高く、明治時代の国の有り様に焦点が当てられている。「日露戦争」は、単なる軍国主義の産物ではない。この戦争が無かったなら日本はとうに共産主義の国になっている。これも知る人ぞ知る司馬遼太郎の文学・司馬史観の原点は、軍隊経験である。その真骨頂は『歴史と視点』(新潮文庫)の「戦車・この憂鬱な乗り物」に詳しい。このエッセイを熟読するだけで「太平洋戦争」の何たるかが解るほどだが、これも詳説を避けるが、この文の中に「吉田矢健治」の名が出てくる。司馬遼太郎と吉田矢健治は、簡単に云えば昭和18年秋の“学徒出陣”における幹部候補生のそれも戦車隊の戦友だった。吉田矢は明治大学、司馬は大阪外国語大学。

「戦車・この憂鬱な乗り物」は、再読・熟読してマーカー・◎印が多い。この初期のエッセイと晩年の『この国のかたち』が「統帥権」を感情論抜きで断罪している。エッセイの中で司馬遼太郎は、至言をさり気なく吐露している。「私は不覚にも大正時代に生まれてしまった」。

男女を問わず「大正時代」に生まれた者は、戦争最前線のためにこの日本に誕生したようなものだからである。続編は何れまとめます。

月末の短歌誌文字入力の原稿が到着。しばらくブログ記述はお休みします。

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