2012/9/27  18:57

同姓同名  昭和史
筆者のブログには見知らぬ人から時々書き込みがある。Tomoki Yamabayashiさんから有り難い書き込みがあった。3年前の≪2009/8/14 校正ミス≫。

“はじめまして。「同姓同名」という表現は、不正確もしくは誤解を招きやすい言い回しではないでしょうか。より正確には「同姓同字」または「同姓同字異名」とでも呼ぶべきでしょう。「しゅんいち」と「としかず」――読み、すなわち発音が異なる2つの名前を、いくら同じ漢字表記だからといっても「同名」と呼ぶことに対しては違和感を覚えます。”と云うもの。

云われてみればその通りで「同姓」であっても「同名」ではない。同じ表記だから「しゅんいち」「としかず」の相違が問題になる。「同姓同字異名」が正確である。この方はプロの校正者かも知れない、感謝申し上げる。「校正ミス」という叙述で四字熟語の意味が違うのであれば、シャレにもならない、おそまつなことである。もう一度その違いを記述しておくことにする。

その本は、≪中公文庫『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と昭和天皇』工藤美代子著≫である。昭和20年12月、戦犯としてGHQより出頭を命じられた近衛文麿が、何で服毒自殺をしたかが新たな視点で描かれる。三度も組閣した近衛文麿は、軟弱な政治家として語られるが、終始「日米開戦」に反対だったのは事実である。文庫本としては500ページに及ぶ読み甲斐のある本である。

ミスは、401ページ。戦前戦後を通じて加瀬俊一という外交官が居た。昭和20年09月02日ミズーリ号甲板で「降伏調印式」が行われた。首席全権の重光葵(まもる)にサインするところを誘導したのが外務省の加瀬俊一である。振り仮名には「しゅんいち」とあった。明らかな間違いである。正確には「としかず」である。加瀬俊一は、読み方が同じなら二人居る。同姓同字異名で「しゅんいち」は大加瀬、「としかず」は小加瀬と云う今でも外務省では区別がある。

 加瀬俊一(かせしゅんいち)1897─1956 終戦時のスイス公使
 加瀬俊一(かせとしかず) 1903─2004 終戦時外務省報道官

「しゅんいち」は終戦時、スイスのアメリカ戦略事務局アレン・ダレスと終戦工作をした外交官である。「としかず」は平成16年、101歳の天寿を全うした。同姓同字異名だが、筆者が云いたかったのは「としかず」氏である。詳しくは別の機会にしたいが、昭和16年12月の「アメリカハワイ真珠湾無通告攻撃」の真の犯人は、出先のアメリカ駐在日本大使館の不手際ではなく、それを知られたくない日本本国の外務省の不作為だからである。

その不作為をあくまで“大使館の現場の所為”として譲らなかったのは、加瀬俊一(としかず)その人である。いわゆる「騙し討ち」は、極東国際軍事裁判でも不問に付されている。アメリカ・ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていたのではないか、と云うグレイゾーンを追求されたくないからである。だからと云って日本本国の外務省の責任は、出先の大使館より重いのは免れない。

画像は昭和20年09月02日、東京湾ミズーリ号艦上。右から三人目のシルクハット姿が加瀬俊一(としかず)。杖をつくのは重光葵(まもる)全権大使、重光は上海事変で片足を失っている。

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