2013/1/8  13:18

箱根駅伝・小田原  身辺些事
例年通りなら正月02日は、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の見学・応援に出かける。場所は通称「湘南道路」の国道134号。箱根駅伝に出場する大学は卒業していないが、甥3人は大東文化大学・城西大学・日本大学出身。3区は横浜市戸塚から平塚までの道程だから、それだけで筆者には感激でもある。毎年、平塚市南部の湘南道路の中心付近での見学だったが今回は、腰椎圧迫骨折で自宅観戦となった。

いわゆる「箱根の上り」で知られる5区への中継所は小田原市内。何年か前からこの中継所は2キロぐらい延び、国道1号のそれまでの「鈴廣」(すずひろ)蒲鉾店の駐車場から撤退している。そこは箱根登山鉄道・風祭駅付近。今は小田原城近くの中心地。箱根駅伝の主催連盟は、この駅伝から瀬古利彦や谷口浩美など国際的なマラソンランナーが、その後、出ないことから剣呑な山登りに平地も増やしてランナーを育てることにしたらしい。つまり持久力・脚力に加えてスピードも要求して大型ランナーをここで発掘しようとしたのだろう。考えてみれば、箱根の山は一にも二にも脚力である。選手の負担が先決。

どのような経緯か知らないが、鈴廣蒲鉾店には丁寧な説明は無かったらしい。鈴廣のその駐車場は、今は蒲鉾博物館?か何かになってしまった。つまり元の状態には戻れない。国道1号線は幹線道路だが片側一車線でとにかく狭い。時間を費やす中継所をそう簡単には設定できないのが真相で、そのためにだけ土地を確保することは不可能。鈴廣が主催・読売新聞などに対して何かの対立の芽を育てたのか?との、憶測はどうやら逆であったらしい。

ともあれ鈴廣から約2キロ先は箱根湯本、早川沿いにあるのが函嶺洞門(かんれいどうもん)。国道1号線の落石防止の為に造られたとの由で、函嶺洞門は、昭和06年竣工の大変古い建築物。当時としては珍しく鉄筋コンクリート製で、王宮をイメージして造られた。その美しさが評価され平成17年に土木遺産に認定された。1931年の完成から既に70年以上経過していて、老朽化が進んでいるが、強度的には問題ないものの、幅員が狭く大型観光バスのすれ違いが困難。そこでバイパスとなる迂回ルートの建設が進められている。(ウィキペディア記事参照)宮ノ下の先の強羅には「函嶺白百合学園」がある。

これもインターネットでの検索で知ったが“函嶺”とは箱根の山の異称であるらしい。そこから塔ノ沢、大平台、宮ノ下、左折して国道1号を進むと小涌谷、芦ノ湯、芦ノ湖に至る。宮ノ下三叉路を進めば強羅、仙石原となる。この角にある宮ノ下・富士屋ホテルは近代史には欠かせない名ホテル。戦前、チャールズ・チャップリンやヘレン・ケラーも宿泊、戦後は昭和天皇も宿泊している。このホテルの経営者三代目・山口堅吉の孫が山口由美氏。『クラシックホテルが語る昭和史』なる文庫を発見した。新潮文庫、発行24年01月。いずれ記述したい。一つ言えることは「箱根」と「軽井沢」は昭和19年・20年に一切空襲が無かったこと…。画像は函嶺洞門。

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2013/1/31  8:56

投稿者:湘南の暇人
二人の選手が箱根でリタイア、持久力、脚力そのものを強いる23キロ過酷でマラソンの世界ランナーは育ちません。陸連もいささか短絡です。平地のコースの距離を伸ばすべきです。

2013/1/12  0:37

投稿者:なりひら
箱根駅伝の沿線にお住まいがあったのですね。毎年テレビで見ていますが、函嶺洞門という言葉はよく聞きます。この道を例の福島県出身の「山の神」が走破したんですね。人とも思えない異常な早さでしたよ。

http://happy.ap.teacup.com/ibaraki-doji/

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