2013/3/8  20:42

推敲  パソコン
小生は、短歌歴15年であっても歌の出来は一向によくならない。
短歌も俳句も一旦詠んだものの「表現」「字句」「視点」などを練り直すのが“推敲(すいこう)”。

ネットには≪推敲とは、文章を何度も練り直すこと≫とある。
唐の時代、詩人の話で「僧は推す月下の門」に「推す」のほかに「敲く」という語を思いついて迷ってしまった。漢詩の大家に「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」
との助言から「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」という言葉が生まれた。

短歌の出来不出来はともかくとして、これも一向に良くならず且つ完成しないのが『私解 戦争の昭和史』。こんなものをと構想し始めてからもう8年目である。私見・私説、見解・解説といろいろな正しい言葉を外して「私解」とは中身を誤魔化すようでわざとらしい。それはそれとしてHPのソフト「ホームページビルダー」は作り易いから「どこでも配置モード」で作成してきたが、これを作り変えている。「標準モード」で作成するとパソコン画面では、中央に配置される。著名な自治体・個人でも作り変えているのが最近目立つ。

この過程でここ一週間、昔の700MBのCD−ROMは、4・7GBのDVDへ画像・文章を移行した。デジカメの元画像は1枚で1MBはあるから、画像保存はDVDに限る。ページの再度の作成で気づいたのが文章の拙さ。いちばん気になったのが「という」の表現だった。これを直しながらページを作り変えている。「いう」は、言う・云う・謂うと大体3通りある。

という」の表現は、戦争の内容の何かを引用、説明をしていることになる。たとえば筆者の「戦争の昭和史」の4章「日米開戦に反対した人」の情報将校・新庄健吉の項目では12ポイント43字×42行のA4用紙一枚で何と12カ所もあった。これでは拙文とも謙譲できずに駄文だと思う。冒頭の≪推敲という言葉が≫を表現しなおすとどうなるか。

「推敲」との言葉が、「推敲」なる言葉が、
「推敲」と形容される言葉が、「推敲」と指摘される言葉が、
「推敲」と表現される言葉が

となる。これを適宜に治すと拙い論考も少しは名文になる。戦争論は文字通り「解釈」で借り物が多いからである。添付は散歩道の護岸工事。

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