2013/7/16  15:57

神田明神下  昭和史
テリトリー東京01 神田明神下
テリトリー」と称する言葉は、動物学ではその動物の生態的範囲、いわば縄張を指すらしい。最近では営業マンが自分の担当区域を指す言葉にも使われている。てなわけでここでは、人間が自分の暮らす或いは暮らした範囲、過去よく通った、親しんだ範囲に使用してみたい。「テリトリー東京」の第1回は「神田明神下」とする。

東京生活は、昭和32年より昭和57年までの25年間、昭和45年(1970)から平成16年(2004・昭和79年)まで勤務したのが千代田区外神田。地番変更までは「神田金澤町」。東京テリトリーの最初は「神田明神下」、勤務先より歩いて1分が神田明神下交差点。ここは文京区本郷の東京大学方面から下ってきて右折すると大手町、東京駅前に至る本郷通り。左折すれば東京都道452号で不忍(しのばず)の池に至る。神田明神下以東はいわゆる「秋葉原電気街」。

物語の「銭形平次」では、神田明神下に生活拠点があったらしい。神田明神(神田神社)の前は湯島坂、向かいが昔の昌平黌(湯島聖堂)で、その南側が相生坂。神田川の向こうが淡路坂。「男はつらいよ」の寅さんの “売(ばい)” の口上≪四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水≫。その御茶ノ水は高台にあるからしたがって短い坂が多い。東京の坂は、タレントのタモリが執心で“ブラタモリ”という番組もあった。この東京の坂のHPは多い。

神田明神本殿の裏にあるのが「銭形平次」の記念碑。フジテレビで昭和40年代初めから昭和59年、主演・大川橋蔵が死去するまで(888回)続いた。大川橋蔵は、肝臓がんで55歳で亡くなった。昭和30年代の時代劇スターは東千代之介・中村錦之助・市川雷蔵・大川橋蔵で「二スケ二ゾウ」ともてはやされた。市川雷蔵に至っては37歳で亡くなっている。

思えば歴史のある江戸の中心地で34年間働いたことになる。画像は、映画・テレビ各社が建立した「銭型平次」の記念碑と神田明神山門「随心門」。

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